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『レディ・プレイヤー1』と未来のアイデンティティ 「Cinema未来館」SFは未来のシナリオか?【CINEMORE ACADEMY Vol.11】
細分化される趣味とオタク
久保:ただ、その後はデコログのような世界は崩れていって、スマホの時代になるとInstagramなどでビジュアルコミュニケーションをするようになり、アクセス数ランキングのような世界ではなくなって、今度はいいね!の数とか保存数のようなものを気にするようになりました。
その影響で、誰かの役に立つような情報を流したい、でもその役に立つような情報というのは必ずしもアイメイクの情報だけではないという環境の中で、趣味コミュニティが沢山になっている状態です。
そういう意味では幅広くオタク化が進んでいて、それぞれのオタクの交流が出来ている。
先日、SHIBUYA 109に来ていた、いわゆるファッションが好きな女の子たちにとったというアンケートの結果発表を見たのですが、自分のことをオタクだと認識している人の割合が70%もあったということです。それくらい皆は自分のことを何かのオタクだと思っている。『レディ・プレイヤー1』のように1つのゲームソフトを使っているというわけではないのですが、ゲームに近いバーチャルコミュニケーションというのが行われていますね。
Q:会場の皆さんからの意見でも「趣味や友達作りが捗りそう」という意見もありますし「趣味やグループが細分化されて、広い交流はあまり取りづらくなる」といった意見もありますね。
久保:そういう意味では趣味自体は細分化されていくと思います。しかし、例えば少し前から日本の女の子の中で「オルチャンメイク」というメイクが流行っているのですが、オンラインで日中韓のオルチャンメイクが好きな子が集まって交流していたり、Instagramで #harajuku とか #kawaii というタグ検索すると、ヨーロッパの方で原宿っぽい格好をしている人がいたりします。
つまり、趣味など扱っているもの自体が狭くなっていても、その狭い趣味の中で広い世界の色んな人が集まっている。それはある意味、多様性があるということなのではと思いますね。
Q:もう一つ取り上げたいコメントがあります。「広がっていくとバーチャルの中で承認欲求を満たそうとしていく、バーチャルで簡単に満たされていた承認欲求をどうやって現実に持って帰ってくるのか。承認欲求を満たしたいという欲求だけが大きくなってしまい、現実では満たされないという不満とかジレンマがあるのではないか」というコメントが来ています。
宮本:ゲームをまたやればいいんじゃないですかね、いろんなゲームをやればいいかなと(笑)。僕はゲームが好きで結構やるタイプなのですが、特に今のコロナの状況だと現実で動けないから、ゲームをしていますね。現実だと出来ないことでもゲームだと出来るので。
久保:聞いた話ですが、最近だと就活でオタク採用というのがあるらしいですね。なにかのオタクであることをアピールして、そういう人が採用されるというのは、『レディ・プレイヤー1』の中のあの会社と似たようなことがもう起きているのかなと。
だから何のオタクでもない人というのが劣等生になってしまっている状況は、少し始まっているみたいですよね。かつては運動神経が良い人ばかりが評価されているのが嫌でたまらなかったのですが、今では逆にそういう人たちの出番が少なくなってきているかもしれない。それはそれで良くないなと、評価基準が多様であるほどよいと思います。
宮本:「お二人の話を聞いていると2ちゃんねるは仮想現実の先駆けだったんでしょうか」というコメントがあって、これは面白いなと思いました。現実では言えないことを好きに言える空間という意味で。ただこれは、この『レディ・プレイヤー1』という作品を見ていると、そういう気持ちになるという話なのだと思います。
この『レディ・プレイヤー1』におけるオアシスというゲームのポイントって、先程言ったようにVR性ではない。おそらくオタク性とソーシャル性がミソになっているVRゲームなので、どちらかというと2ちゃんねるの持つ要素に強い親和性があるのだと思います。一般的に言うVRは、2ちゃんねるとはちょっと違うと思いますね。2ちゃんねると古い80年代のゲームを組み合わせたら、大体オアシスという感じです。
Q:「文化や風習の多様性がなくなるのでは」というコメントがありました。例えば今年、あつ森(あつまれ どうぶつの森)というゲームがすごく流行りましたが、その一つの限られたものの中でやり取りすると、コミュニケーションは取りやすいと思います。しかし離れていたからこそ存在した文化や、言葉やツールが違ったからこそ存在した多様性というものは今後どうなっていくと思われますか。
宮本:これに答えるにあたって参照したいのは、またも久保さんの本なのですが、「細かいところを見ていると個性が分かる」というような部分で、この意見はすごく建設的だと思いました。
例えば「量産型女子」といった言い方がありますが、そういう文化に対しては、細かいところをちゃんと見ないで、とりあえず馬鹿にする、ということがされてしまうじゃないですか。ただ実は「細かいところをちゃんと見ていけば、そこに個性があるよ」という事がすごく大事だと思っていて。
文化のパクリや均一化という問題もあるが、本当は細かいところを見ていくとちょっとずつ違うから、細かいところに良さを発見していく方が面白いかな、と思いますけどね。
久保:細分化したところに人が集まって、文化は発展、成熟していくと思います。従来の国とか地域と言われていたものよりも、趣味のようなものが、かつての国のように文化を発展させる力をもっていくということが起こると思います。
宮本:久保さんの本ではコノハムシの例も挙げられていましたよね、それも印象的でした。我々人間から見たら、みんな同じ木の葉のように見えていますが、虫からしたらちゃんと個性が見えているという。とても印象的でした。
久保:そうですね、外から見ていると均一に見えてしまう。
宮本:一方で、『レディ・プレイヤー1』の世界の中ではクリア出来ているのですが、普通のVR空間だと結構クリアしにくいと思っているのが、勝手に他人の文化を使ったり、権利を無視したりしてしまうという問題。これは考えていかなければいけないことだと思います。
特に今後、他人の顔をアバターとして使って動かすといったディープフェイクが出てくると、それは「盛り」とは全く違い、問題になってくる。顔の人格権みたいなものがどうなっていくのかという難しい問題ですよね。
久保:日本の女の子を見ていると、自分と別人にはなりたいけど別人過ぎるようにはなりたくないという、すごくギリギリの線を保つということに勝負をかけている感じはありますね。そこに美学があるというか。
元々一部の欧米の方には、お化粧をすること自体よく思われない方もいて。生まれ持った自分にもっとこだわりを持つべきであり、日本の女の子はあんなに化粧しちゃって…という意見もある。一方で中国の方の中には、どんどん加工をしていてプロフィール写真ですら実際の自分とは違う顔になっていたりしている。こういった文化差も今後出てくると思いますね。それらが均一化されていくのか、余計離れていくのかはまだわかりませんが。
あとは宮本さんがおっしゃった倫理的な問題はやはりありますね。
宮本:『コングレス未来学会議』(13)という映画があって、その作品では映画俳優が主人公なのですが、作ってもらった自分の3Dモデルが勝手に映画で使われたりするという設定の作品です。3Dモデルが、自分自身とは関係なく、どんどん仕事をやってくれるので、もう自分はいらないのでは、と思うようになっていく。むかしは売れていた俳優さんなのですが、そういう状況になってしまったことがとても辛いというストーリー。
それ以外にも色んな問題点を描いた作品でして、面白いので是非見ていただきたいのですが、こういうことも今後起こってくるのだろうなと思います。