NHK連続テレビ小説『ひよっこ』(17)や、現在放送中の大河ドラマ『青天を衝け』(21)を手掛ける黒崎博監督。彼が10年以上の年月を費やして作り上げた渾身の一作『映画 太陽の子』(以下、『太陽の子』)が、8月6日に劇場公開を迎える。
1945年の夏・京都。若き科学者の修(柳楽優弥)は、海軍から密命を受け、「日本初の原子爆弾の開発」というプロジェクトに参加していた。自分の研究が成功すれば、大勢の命を奪うことになると知りながら、研究者としての欲求は加速していき――。彼の複雑な葛藤が、幼なじみの世津(有村架純)や戦地に向かう弟・裕之(三浦春馬)、母のフミ(田中裕子)らとの関係の中で描かれていく。
国内のキャスト・スタッフのみならず、アカデミー賞候補作『愛を読むひと』(08)の作曲家ニコ・ミューリー、『アリー/ スター誕生』(18)のサウンドデザイナー、マット・ヴォウレス、『ジョン・ウィック:チャプター2』(17)の出演者ピーター・ストーメアといった各国の実力者が顔をそろえた本作。「日本の原爆研究開発」というセンセーショナルな題材を含め、これまでの戦争をテーマにした映画とは、一味違った意欲作に仕上がっている。
今回は、黒崎監督に単独インタビュー。彼の歩みや、ものづくりにおける方法論・思考について余すところなく語ってもらった。
Index
- 図書館で出会った、1945年の日記が運命を変えた
- 教育番組で培った、演出術
- ヒーローも人間。たくさん間違えて失敗してほしい
- ゴールを設定しない決断が、役者の生の芝居を引き出した
- カラリストとこだわった、「生きている」肌の色
- 「撮らない」姿勢を見せることが、現場の意識統一につながる
図書館で出会った、1945年の日記が運命を変えた
Q:『太陽の子』は、10年以上前に、黒崎監督が広島の図書館で科学者の日記の断片を見つけたことから始まったと伺いました。
黒崎:ひとつの作品を撮り終わって次のものに取り掛かる前に、よく図書館や本屋さん巡りをするんです。読むわけじゃなくて、背表紙が並んでいるのを見ながら歩いていくうちに、自分の考えが整理されていく。背表紙はいわば情報や思考の集積なので、それを眺めるのが僕にとって大事な時間なんです。
その中でふっと「面白そうだな」と思える本があったら手に取るのですが、そのときもそういった感じの出会いでした。なるべく人の少ないところに行こうと思って、歴史の資料コーナーまで歩いていったら、資料集の中になぜか京都帝国大学の学生の日記があったんですよ。
何が書いてあるんだろうと思って読んでみたら、1945年の8月6日(広島に原爆が投下された日)も「いい天気だ」しか書いていないし、8月7日も「今日こんなことがあった」しかない。8月8日になって「広島で大変なことがあったらしい」と書かれていて、彼らは9日に夜行列車に飛び乗って10日に広島に着いたと。
ということは、そのときには長崎に二つ目の原爆が投下されていたことになる。つまり彼らは、何もわからない状態で広島に着いて、あの光景を見たときに「これは間違いなく、自分たちが研究していたものに違いない」と直感的に分かったと思うんです。そういった日を追ったドキュメントを見てしまって、「これはもっと調べなきゃ」と感じたのが発端ですね。
『映画 太陽の子』©2021 ELEVEN ARTS STUDIOS / 「太陽の子」フィルムパートナーズ
Q:運命的な出会いですね。時期的には、『火の魚』(09)の前後ぐらいでしょうか。
黒崎:『火の魚』の前だったと思います。まだまだ駆け出しで、ようやく自分の色で撮り始めたころ……まぁ、今も自分の色が何かわからないのですが(笑)。ただ、それなりに「こういうものをやりたい」と強烈に思い始めていた時期だったかもしれないですね。
Q:その想いと題材への出会いが、うまく合致したのですね。黒崎監督は1969年のお生まれで、92年にNHKに入局とストレートに映像の道に進まれていますが、NHKを選んだ理由は何だったのでしょう?
黒崎:テレビドラマが好きで、フィクションを自分で作ってみたい気持ちがすごくあったんです。当時のNHKは、なかなかに尖った単発ドラマをインハウスでたくさん作っていて、刺激をもらったこともありますし、ここに入ればオリジナルのものを作れるんじゃないかと考えたんですよね。