シナリオ投票から学んだもの
Q:劇中では、『スター・ウォーズ』の宇宙船を撮りたいと特撮から始まり、その後ストーリーやテーマ、演技など、映画に必要なものを学んでいきます。実際に作りながら学んでいかれたのでしょうか。
小中:そうですね。小中学生の頃は兄貴やクラスの友達と映画を作っていましたが、完全に自己流でした。高校で映研に入って初めて、先輩たちから色々と教わるようになりました。また、映研で映画を作るときは、皆それぞれがシナリオを提出し投票して作品を決めるシステムでした。人に見せるためのシナリオを書くこと自体が初めてだし、それまでは書き方なんて考えたこともなかった。何を伝えるのか、テーマは大事なんだと、そういう当たり前のことを初めて言われたのも、このシナリオを書いて投票しあった時でした。
利重:実際のところは結構面倒くさかったよね(笑)。子供同士で言いたい放題で、こんなのダメだあんなのダメだと。かなりダメ出しされた。
小中:手塚さんの『FANTASTIC☆PARTY』を作ったときは、お互い相当意見を言いましたよね。
手塚:僕の方が先輩だけど結構ズバズバ言われてね(笑)。この野郎!とか思いながらも、言われたこと自体は正論だなと、シナリオを書き換えたりしたね(笑)。
小中:「本当はこうしたかったのに」という思いがあると、自分の作品とは言い切れない部分もあったりしますか?
手塚:そうね。案外そういうところあるかもね。
利重:言っていることを受け入れないと好きなことも出来ない。みたいな感じだったかな。
手塚:あくまで学校のクラブですから。課外授業として部費もちゃんと学校から出ている。だから、デタラメに好きなことをやるわけじゃない。クラブのために作るという考えがありました。それと学園祭で上映することが決まっていたので、絶対そこで人に観せるということも前提としてありましたね。
小中:僕は皆の映画だっていう意識があったんです。監督は手塚さんかもしれないけど、映研の映画だからいろいろ意見が言えたんだと思います。
手塚さん:今考えると不思議なのですが、しょっちゅう部室にOBが出入りしていたんです。大学生もいれば社会人もいる。みんなよく遊びに来てました。その人たちは作品に対して何も言わないのですが、沈黙のプレッシャーがあった。ちょっと雰囲気が怖いんです(笑)。たまに結構な一言を言われたりもしましたね。
小中:シナリオ論を語るOBもいました。そういう人たちと接したことが、本作に出てくる先生に凝縮されてる感じです。
手塚:言ってみれば映画を通して初めて接した大人たちだよね。
Q:自分一人で好きに作るだけではなく、スタッフとの共同作業があったり、締め切りがあったりと、映研での活動は今の仕事の原体験のようですね。
小中:映研で学んだことは確かにあります。うまくいかなかったことも含めて、いろいろ経験しましたから。