『スター・ウォーズ』の衝撃
Q:劇中で作っている映画からは、手塚治虫や筒井康隆、眉村卓などのSF作品を想起させます。当時はそういった作品に影響を受けていたのでしょうか。
小中:ウルトラマンや怪獣映画も好きでしたが、テレビドラマの「少年ドラマシリーズ」(72~83)も面白かったですね。特撮を使わずにちゃんとSFをやっていたのがすごく良かった。原作をSF作家が書いていたから、話がしっかりしていたんです。僕は筒井康隆さんの『七瀬ふたたび』(10)を映画化しましたが、そういう世界が好きだったからですね。
Q:劇中では、『スター・ウォーズ』が少年たちに与えた衝撃の大きさが分かりますが、実際の『スター・ウォーズ』フィーバーはどのような感じだったのでしょうか。
小中:個人差はあると思いますが、あんなに巨大な宇宙船の映像を見たのは初めてでした。それまでもSFモノはありましたが、『スター・ウォーズ』で初めてそれを感じたんです。今までの特撮とレベルが違う衝撃があった。あれは演出もすごく上手くて、小さな惑星が浮かんでいる中、巨大な三角形をゴォーっとフレームインさせて、ディテールを見せることによって巨大感を出している。『スター・ウォーズ』のあとに『2001年宇宙の旅』(68)がリバイバル公開されるのですが、『スター・ウォーズ』はそれの再現をしていたことが後になって分かるんです。一度忘れられた技術を『スター・ウォーズ』がポピュラーにした。それでみんな衝撃を受けたのが当時の驚きなんじゃないかな。
『スター・ウォーズ』予告
手塚:あのときの感覚からすると『スター・ウォーズ』はイベントなんです。アメリカからすごい映画が来るぞと、公開前から伝わってきていた。みんなでそのイベントを盛り上げて騒いだ感じです。映画の良し悪しよりも、そういうイベントをやる面白さで一気に盛り上がれた。そこまで大きな映画のイベントはそれまで無かったんです。大作映画はあったけど大人が観るものだったし、当時のスターもみな大人ばかり。そんな時代に、若い人たちがあんな面白いものを作ったんだという熱気がそのままの勢いで拡散された。それにみんな乗っかったんです。
小中:『スター・ウォーズ』のアメリカ公開から日本公開まで丸一年あるのですが、その間に東宝が『惑星大戦争』(77)を作り、東映が『宇宙からのメッセージ』(78)を作った。そうやって宇宙モノが先に2本上映されたあとに『スター・ウォーズ』がやって来るので、散々観た感じがしていたのですが、それでも『スター・ウォーズ』はすごかった。皆がパチもんを作りたくなるぐらいすごいイベントだったんです。
手塚:僕は日本公開の前にハリウッドで観たのですが、向こうは映画の見方が日本と全然違って、映画館自体が完全にアトラクションになっていました。ポップコーンを放り投げるわ、椅子の上に立って叫ぶわ、特に『スター・ウォーズ』のときはものすごく賑やかなんです。そんな中に巻き込まれると、これはもう面白いと言うしかない。とんでもないイベントが起きているぞと。日本では椅子に立ち上がる人はいませんでしたが、熱気は伝わって来るものがあった。何よりもそれでハリウッドが若返った感じがして、若かった僕らはそれが嬉しかった。僕らもみんな映画を目指していたから、若い人でもここから行けるんだぞと。
小中:映画のイメージがガラッと変わりましたよね。そういう意味では革命的な映画だったと思います。
『Single8』(C)『Single8』製作委員会
利重:僕は『スター・ウォーズ』と『未知との遭遇』(77)にすごい衝撃を受けました。ハリウッドではルーカスやスピルバーグみたいな若い人がこんな大作を作っちゃうんだと。それまでは面白いか面白くないかだけで「これは最高だ」「こんなのダメだよ」と言っていて、映画ってただ観るだけのものでしたが、もしかすると自分も作れるかもしれないと思うようになった。それで映画を作りたくて映研に入り、小中と出会って色んなことを教わるんです。『未知との遭遇』で雲がモクモク出て来るのはどうやって撮っているのか聞くと、「水槽にインクを垂らしているんだ」と教えてくれる。でも実際にやってみるとうまくいかないんです。『スター・ウォーズ』でワープするときに光が伸びるのはどうやっているのか、星を撮るにはどうしたらいいのか、どうやったらあの立体感は出るのか、等々、なかなかうまくいかないけど、でもそれがすごく面白かった。そうやって作ることに目覚めさせてくれたのが、『スター・ウォーズ』であり『未知との遭遇』でしたね。