1. CINEMORE(シネモア)
  2. Director‘s Interview
  3. 『Single8』小中和哉監督x利重剛x手塚眞 映研が教えてくれたこと【Director’s Interview Vol.295】
『Single8』小中和哉監督x利重剛x手塚眞 映研が教えてくれたこと【Director’s Interview Vol.295】

向かって左から手塚眞、小中和哉、利重剛

『Single8』小中和哉監督x利重剛x手塚眞 映研が教えてくれたこと【Director’s Interview Vol.295】

PAGES


黒澤、スピルバーグ、アメリカン・ニューシネマ



Q:では最後の質問です。皆さんが影響を受けた映画監督や映画作品を是非教えてください。


手塚:僕は『スター・ウォーズ』より前に『JAWS/ジョーズ』(75)を観て、初めて「演出」というものを思い知りました。その瞬間に映画監督になりたいと思ったんです。その後『未知との遭遇』を観るとこれがまたすごかった。それに比べると『スター・ウォーズ』の演出は割とシンプルなんです。演出という点ではスピルバーグに圧倒的に憧れました。『JAWS/ジョーズ』に関しては、皆はサメがすごいと言うんだけど、僕はサメが出てないところがすごいと思っていて、何回も繰り返し観ていました。あの映画が教科書みたいなものでしたね。


小中:やっぱり見るところが違いますね。僕は『JAWS/ジョーズ』でサメがすごいと思ってクマの映画を作ったから(笑)。


手塚:もちろんサメはすごいんだけど仕掛けがわかるんだよね。演出は「あ、こう来たか」という感じがある。カット割りもすごかったね。


利重:『JAWS/ジョーズ』と『激突!』(71)を一緒に観てましたよね。


手塚:そうそう。やっぱり圧倒的に演出が面白かったですね。実は昔のハリウッドのいろんな監督のテクニックの焼き直しをやってるに過ぎないんだけど、それをその時代のリズムで集約してみせてくれた。その力には本当に圧倒されます。そのスピルバーグが今度は自分の自伝『フェイブルマンズ』(22)を作ったのも感動でした。やっぱり上手かったね(笑)。


小中:映画って観るときの年齢ですごく印象が違う。『JAWS/ジョーズ』が衝撃的だったのは、いちばん感性豊かな年齢のときに観ているからですよね。


『ジョーズ』予告


利重:僕は『スケアクロウ』(73)ですね。何十回も観ました。雑誌のぴあを読んで上映してる映画館を見つけては観に行っていました。横浜の鶴見で生まれ育ったのですが、お袋はハリウッド映画のミュージカルなんかが好きなわけです。美男美女が恋に落ちる『ローマの休日』(53)とかね。でも子供の頃にそんなの観ても全然面白くなかったりするんですよ。あんな美男も美女も近くにいなかったから(笑)。それがアメリカン・ニューシネマだと、美男美女ではない身近な人たちが主役になっているところがすごく面白かった。また、娘を殺された男が復讐して勝利するようなアクション映画も観てきたけど、それがアメリカン・ニューシネマになると勝てなかったりするわけです。そこも良かったんでしょうね。『JAWS/ジョーズ』なんかはただただ面白かったですね。手塚さんはそこで演出を感じてたけど、僕なんかは「面白―い!」ってだけで、「さぁもう一回観よう!」みたいな感じでしたね(笑)。


手塚:たぶんスピルバーグぐらいまでがアメリカン・ニューシネマですよね。それこそ『スケアクロウ』みたいなニューシネマがずっとあって、スピルバーグはそこにジョン・フォードやヒッチコックなどの古典的なテクニックを持ち込んだ。だから画はニューシネマなんだけどテクニックは昔のハリウッドというね。



『Single8』(C)『Single8』製作委員会


小中:僕は怪獣映画から始まりましたが、映画に目覚めるきっかけは、テアトル東京でリバイバルされた『七人の侍』(54)でした。中1のときにそれを観て衝撃を受けた。映画ってすごいなと、映画の見方が変わりましたね。


利重:そのときはデカいスクリーンに上映されたよね。スタンダードサイズでね。


小中:そうそう。そこからは中学・高校と黒澤映画を追っかけて文芸坐に観に行ってました。文芸坐ってスーパーSF大会も同時にやってたから、黒澤とSFと両方追っかけてましたね。


手塚:当時、名画座は3本立てが普通なんです。似たような傾向の映画が3本観れて安いんだよね。600円ぐらいで3本観れたんですよ。いい時代でした。




『Single8』を今すぐ予約する↓






向かって左から手塚眞、小中和哉、利重剛


監督・脚本:小中和哉

1963年生まれ。兄・小中千昭(現脚本家)と共に小学生のころから8ミリ映画を作り初め、中学2年『CLAWS』(76)で初監督。成蹊高校映画研究部、立教大学SPPで自主映画を撮り続け、1986年に池袋の名画座・文芸坐が出資した『星空のむこうの国』で商業映画デビュー。1992年、兄・千昭と妻・明子と有限会社こぐま兄弟舎(現・株式会社Bear Brothers)を設立。1993年にポニーキャニオン、タカラと共同で映画『くまちゃん』を製作。1997年公開『ウルトラマンゼアス2 超人大戦・光と影』でウルトラマンシリーズ初監督。以降、監督・特技監督として映画・テレビシリーズ両方でウルトラマンシリーズに深く関わる。 代表作:映画『四月怪談』(88)、『ウルトラマンティガ・ダイナ&ガイア』(99)、『ULTRAMAN』(04)、『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』(06)、『七瀬ふたたび』(10)、『赤々煉恋』(13)、『VAMP』(14)、TVシリーズ「ウルトラマンダイナ」(98)、「ASTRO BOY 鉄腕アトム」(03)、「ウルトラマンネクサス」(05)、「南くんの恋人」(15)、「いいね!光源氏くん」(21)など。


利重剛

1962年生まれ、東京都出身。成蹊高校映画研究部で撮った「教訓I」(80)がぴあフィルムフェスティバルに入選。81年、「近頃なぜかチャールストン」のプロットを岡本喜八監督に持ち込み映画化、主演・共同脚本・助監督を務める。自主映画「レンタチャイルド」(83)「見えない」(85)を経て、89年「ザジ ZAZIE」で劇場用映画監督デビュー。主な作品は「BeRLiN(ベルリン)」(95)「クロエ」(01)「さよならドビュッシー」(13)など。俳優としても活躍し様々な映画、テレビドラマに出演。


手塚眞

1961年生まれ、東京都出身。成蹊高校映画研究部で撮った8ミリ映画「FANTASTIC★PARTY」が「日本を記録する8mmフェスティバル」で特別賞を受賞。審査員だった大島渚らに高く評価され、「UNK」(79)と「HIGH-SCHOOL-TERROR」(79)は「ぴあフィルムフェスティバル」に入選。日本大学藝術学部映画学科に進学し、81年に手掛けた「MOMENT」は学生を中心に大人気となり、85年「星くず兄弟の伝説」で劇場用映画デビュー。主な作品に「妖怪天国」(86)「妖怪天国 ゴースト・ヒーロー」(90)「白痴」(99)「ブラック・ジャック ふたりの黒い医者」(05)「「星くず兄弟の新たな伝説」(18)「ばるぼら」(20)などがある。



取材・文:香田史生

CINEMOREの編集部員兼ライター。映画のめざめは『グーニーズ』と『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』。最近のお気に入りは、黒澤明や小津安二郎など4Kデジタルリマスターのクラシック作品。


撮影:青木一成





『Single8』

3月18日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開

配給・宣伝:マジックアワー

(C)『Single8』製作委員会

PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. Director‘s Interview
  3. 『Single8』小中和哉監督x利重剛x手塚眞 映研が教えてくれたこと【Director’s Interview Vol.295】