『八つ墓村』殲滅作戦
角川を袖にした松竹への包囲網は、あたかも〈『八つ墓村』殲滅作戦〉のように表面化する。角川のみならず、市川崑監督×石坂浩二のコンビで金田一シリーズを連発していた東宝も奇襲攻撃に打って出たのだ。
1977年は、4月に東宝が『悪魔の手毬唄』を、9月に松竹が『八つ墓村』を公開することが前年から発表されていたが、東宝は4月2日に封切られた『悪魔の手毬唄』のヒットを受けて、急遽、次回作を決定する。
同月16日の『報知新聞』は、「東宝は“横溝正史シリーズ”第三弾として『獄門島』の製作を決めた」と報じたが、同月21日の『スポーツニッポン』では続報として、「東宝では、この『獄門島』が、ひと足さきに、TBSで連続4回放送されるため、殺人犯人の設定を変更する案、また逆にテレビとの相乗宣伝作戦も検討中」と、メディアミックスが行われることを伝えている。なお、『獄門島』の映画化が横溝のもとへ伝えられたのは、マスコミ報道より遅い同月25日のことだった。
さらに当初はクランクインが6月初旬で、公開は9月初旬とされていたが、8月27日公開へと早められた。これは、『八つ墓村』の公開が9月23日であることから、できるだけ早く公開して、観客を横取りしようというわけである。
『獄門島』で話題となったのは、犯人を原作と変更した点である。これはTVドラマ版の放送が終わった翌週に映画が公開されることになったため、原作を忠実に映像化したTV版の直後では、犯人が原作と同じでは二番煎じとなるという判断がなされたようだ(市川崑はこの説を否定し、3作目なので目先を変えたと証言している)。
これは宣伝にも活用され、「獄門島 公開記念 犯人当て総額100万円クイズ!!」と題したクイズを開催し、大手新聞にも全面広告が打たれた。そこには「原作と映画の犯人が違います。映画の犯人(女性)を当てて下さい(犯人役の女優名でお答えください)」という設問と共に、1等には50万円(1名)、2等は10万円(2名)、3等は2万円(5名)、4等は1万円(20名)の賞金が出ることが告知されている。角川映画が推し進めた映画のイベント化は、大手映画会社にも伝播したことを象徴するような出来事だった。
かつて横溝は、「作者としてはこいねがわくば原作どおりにやってほしい」(『真説 金田一耕助』)と、原作の改変を苦々しく思っていたものの、小説と映画は別物と割り切り、映画がそれで当たるなら結構という心の広さを持っていたこともあり、『獄門島』においても、宣伝へ一役買うことになった。
1977年7月10日、横溝は自宅からほど近い東宝撮影所へ『獄門島』セット撮影の見学に訪れた。午後1時過ぎに東宝スタジオへ入った横溝は、いきなり予告編への出演を打診される。『犬神家の一族』への出演経験があることもあって、サービス精神旺盛な横溝は急な申し入れも快諾し、「金田一さん、実は映画の中の犯人を知らないんですよ」という台詞を喋ることになった。「このくらいのセリフならおぼえられる」(『スポーツニッポン』77年7月11日)と余裕を見せた横溝は、テスト2回、本番1回で見事にOKを出した。そのあと横溝はNo.8ステージに組まれた14部屋に及ぶ本鬼頭の邸宅セットを見学し、「これは立派なものだ」(前掲)と美術を褒め称えた。
本作の美術監督は、『悪魔の手毬唄』も手がけた村木忍。夫で黒澤明の作品で美術を担ってきた村木与四郎が、「彼女は松竹の『八つ墓村』を批判してたから。セットが貧相だって。それで[引用者注:『獄門島』は]スタジオに木を大量に持ってきて森を作ったりとか、かなり贅沢にやってます」(『村木与四郎の映画美術』)と語るように、先行する『八つ墓村』への美術監督としての返答が『獄門島』にこめられていると言って良い。
ただし、スケジュール面では『獄門島』が圧倒的に不利だった。村木忍は、撮影を振り返ってこう記している。
「ただ、ただ、あわただしい作品でした。1日が40時間あってくれたなら、と思った事が何度かありました。『犯人は一体誰でしょうか?』という未完の台本を渡された時は、もう、デザイン提出の期限ぎりぎりです。おまけに、俳優さんのスケジュールは、こんがらがった網目さながら。今日の午前中、No.8ステージの本鬼頭家に入ったら、午後はNo.6の芝居小屋。明日は早朝ロケ。帰社後、N0.4に入り、夜になって再びNo.8に入る。……といったような状態で、相当な期間、東宝撮影所の全ステージは、獄門島のセットで占領されていました」(『映画テレビ技術』77年11月号)
実際、東宝撮影所の9つのステージには『獄門島』に登場する祈祷書や寺の庫裡、分鬼頭家、床屋、駐在所、芝居小屋、廃屋、復員船の船倉などのセットが作り込まれており、室内だけでなく、寺の境内、谷間などもスタジオに作られていた。さらに東宝の金田一シリーズ初の岡山ロケも行われ、金田一が島へ向かう港を岡山県笠岡市の笠岡港、島の中は岡山県の笠岡諸島にある六島でロケするなど、セットのみで済ませるのではなく、時間がなかろうが市川崑の凝りに凝った撮影は続いた。
なお、村木忍によると、市川は撮影前に「『犬神家の一族』はアメリカ風、次作『悪魔の手毬唄』はフランス風にしたが、今度は純日本風に、前二作とは違った映像表現を試みたい。そして、思いきりドロドロしたものに仕上げるつもりである」(前掲)と宣言したという。
事実、本作では鐘の下に横たわる死体の首が切断されるという原作にはない衝撃シーンが作られたり、狂人や祈祷をおどろおどろしく描くなど、前2作とは趣を異にしているが、これは『八つ墓村』を意識したものと考えるのは穿ち過ぎだろうか。
そして、8月27日の『獄門島』公開初日には、9万8千700通あまりの応募があった犯人当てクイズへの正解が発表された。正解は全体の3分の1にあたる3万2千通にのぼった。「犯人は女です。それも美しい」という市川からのヒントが功を奏してか、かなりの正解率となった。ただし、それをミスディレクションと見て、色白の美少年を演じたピーターの名前を記したハガキも少なくなかったという。なお、初日の観客動員は『悪魔の手毬唄』の101.8%を記録し、連続ヒットは確実となった。
そして公開から3日後の『スポーツニッポン』では、『獄門島』でシリーズ完結と謳われていた東宝の金田一シリーズが、好評につき第4弾『女王蜂』の製作が決定し、来年2月11日から1本立て大作として公開されることを伝えている。東宝とTVで金田一シリーズがこれだけ間髪入れず連打されては、『八つ墓村』は埋没してしまうのではないかと見る向きも、映画業界では少なくなかった。
余談だが、市川と『八つ墓村』の脚本を担った橋本忍は、四騎の会(黒澤明、木下惠介、小林正樹、市川崑によるユニット)で映画化が予定されていた『どら平太』の脚本に橋本が携わったことを別にすれば、唯一、映画化寸前まで進んだ企画があった。それが1961 年に日仏合作で企画された『薔薇よ、さらば』。
仲代達矢が演じるセールスマンがパリで消息を絶ったことから、妻の山本富士子が夫の行方を追って渡仏する。岸惠子や、マリー・ラフォレと関係を持っていたことがわかるものの、夫はすでに殺されていたことが発覚し、妻はその謎を解き明かしていくというサスペンス・ミステリーである。撮影は宮川一夫を予定していたが、橋本が発病により降板。その後、この企画は脚本にアラン・ロブ=グリエを迎え、『涙なきフランス人』という企画へ仕切り直されるが、実現しなかった。市川崑と橋本忍によるサスペンス・ミステリーを観たかったと思うのは筆者だけではないだろう。
一方、『八つ墓村』の監督である野村芳太郎は、市川の金田一シリーズについて、どのように見ていたのだろうか。
曰く――「市川作品は二本とも見た。意識しないといえばウソになるが、神経は別に使わない。くだらぬことですから。映画には監督の個性が出てくる。また一番面白く見せようと思ったことをやれば、面白さ、個性が出てくるものだ」(『東京中日スポーツ』77年4月28日)と自信を見せたが、事実、野村と市川は、〈横溝正史〉という素材を用いて全く異なる映画を作り上げたことは、後年、市川が再々映画化した『八つ墓村』(96)を観ても、その個性の違いがよくわかるはずだ。