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『JFK』仕組まれたバッシング、オリバー・ストーンが挑んだケネディ暗殺事件 前編

(C)2016 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved.

『JFK』仕組まれたバッシング、オリバー・ストーンが挑んだケネディ暗殺事件 前編

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暗殺現場を完璧に再現した理由



 『7月4日に生まれて』で第62回アカデミー賞監督賞を受賞したオリバー・ストーンは、授賞式の壇上でオスカー像を抱えて、「テキサス州ダラスの皆さん、フィリピンの温かい人々」と撮影に協力してくれた地域を挙げて感謝を述べた。このとき、あえてダラスの名前を挙げたのは、『JFK』をダラスで撮影するのを見越したゴマすりであるという口さがない連中の声もあった。計算高いストーンなら、それぐらいやりかねないというわけだ。


 ストーンの映画では度々ダラスが舞台になってきた。『トーク・レディオ』(88)、『7月4日に生まれて』、そして『JFK』。そう指摘されるとストーンは、「そんなこと言ったって、ダラスで事件が起きたんだからしょうがないじゃないか!」と、えなりかずきみたいに抗弁するのだが、『JFK』では暗殺シーンが映画全体の根幹を担うだけに、ダラスでのロケーションは不可欠だった。


 また、プロが撮影した狙撃される瞬間の映像が存在しなかったことも、暗殺シーンを再現した大きな理由である。というのも、テレビ中継はされておらず、ムービーカメラを持ったマスコミは、大統領専用車の後ろに連なる車両の最後尾にいたからだ。


 あの瞬間のマスコミの動きを追ってみよう。銃声が断続的に続いて混乱が起き始めると、最後尾の車にいたUPI通信の記者は車内の無線電話を掴んで事態を伝えた。それを受けてABCラジオが午後12時36分に第一報を次のように報じた。


「本日ダラス市繁華街で、ケネディ大統領の自動車行進に向って三発の銃弾が発射された」


 事件の発生から6分後である。そこから各局が続き、テレビでの最初の報道が12時40分。ただし、当時は電源を落としたテレビカメラを起動するのに時間がかかったため、Bulletin(速報) の文字だけがテレビ画面に表示され、そこに声を重ねて事態を伝えた。『JFK』の劇中でも、この速報が再現されている。



(C)2016 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved.


 ケネディ暗殺の瞬間を捉えた映像は、鮮明に狙撃の前後をカラーで捉えたザプルーダー・フィルム(ダラスの服飾業者エイブラハム・ザプルーダーが、暗殺の前後を約30秒にわたって完全記録した唯一のフィルム)が登場するまでは、パレードを見物していた人々が撮影した断片的なフィルムが大半だった。


 マスコミが撮ったものとしては、後方車から慌てて撮影されたモノクロの映像が存在するが、銃声に反応してカメラが大きくブレるだけのもので、資料以上の価値は薄い。


 ザプルーダー・フィルム自体は事件から一週間後の『ライフ』にモノクロのコマ焼き写真で誌上公開されており、後に事件調査を行ったウォーレン委員会による検証でも証拠として使用されてきた。しかし、オリジナルのカラー動画として一般の目にふれたのは、ジム・ギャリソンによるクレイ・ショー裁判が最初である。したがって『JFK』では、ザプルーダー・フィルムはクライマックスに満を持して登場することになる。こうした理由もあって映画の冒頭に映される暗殺の瞬間は、ライブラリーフィルムだけでは足りず、本格的に再現する必要があった。


 幸い、ダラスの暗殺現場に大きな変化は起きていなかった。狙撃の舞台となった教科書倉庫ビルをはじめ、周辺も当時のままだ。つまり、少し手を入れれば、1963年11月22日に戻すことは容易だった。


 しかし、このプロジェクトは予想以上に難航した。ダラスとはパイプの太いストーンの力もあって、ディーレイ・プラザを3週間閉鎖して撮影を行う許諾は取れたものの、地元では複雑な反応が多かった。というのも、負のイメージを忘却しようとしてきたダラスの人々にとって、大がかりなロケーションは、否応なくあの瞬間に呼び戻されることを意味したからだ。




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