画面内に点在する“違和感”の正体は?
まず大前提として、ヴィジョンは『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』で命を落としているため、『ワンダヴィジョン』は「過去」か「もしも」の物語なのか?という予測が働くことだろう。確実に過去の物語である『ブラック・ウィドウ』のような位置づけだ。
ただ、いくつかのサイトを参照すると、どうも本作は『アベンジャーズ/エンドゲーム』後の物語らしく、これまでのMCUの作品が、過去にさかのぼる作品が少ないということ(裏でこういうことが起こっていたという『アントマン&ワスプ』(18)といった補完的な作品はあるものの)から、この可能性は低いと考えよう。そもそも、もし本当に1960年代にワンダとヴィジョンが夫婦生活を送っていた、とするなら、これまでの設定も物語も破綻してしまう。
となると、「もしも(What If...?)」的な物語なのか?とも思わせるが、この部分については1・2話時点でやんわりと否定がなされている。第1話のラストでは、画角が拡張し、映像もカラーになり、ワンダとヴィジョンの一連の物語は画面内の出来事だったことが示唆されるのだ。第2話では、ラジオから「ワンダ、応答せよ。誰が君に指示を?」という声が漏れ、ワンダ自身が「巻き戻して改変する」描写も見られる。
『ワンダヴィジョン』(c) 2021 Marvel
これらは、何かしらの“外部”を感じさせる要素だが、その他にも不可解な描写が多数仕掛けてある。第1話ではカレンダーに描いてあるハートマークが何の記念日なのかわからない、という場面や、「どこから来た?」「結婚して何年?」と上司に質問されたヴィジョンとワンダが答えられないというやり取り、会社でヴィジョンが同僚に「僕らは一体ここで何をしてる? 何の会社だ?」と聞く会話がなされるが、コント的な味付けにしていても、その奥には不条理SFのような気味の悪さが潜んでいる。ふたりには、どうにも「過去がない」のだ。シットコムになじませたようにしつつ、違和感が次第に大きくなっていく本作のつくりは、ドラマ的な面白さも追及しており、MCUの新たな挑戦を感じさせる。
また、モノクロに対する「カラー」の描写が効果的だ。第1・2話では、要所要所に「赤色」が混ぜられ、視聴者に何かしらのヒントを提示している。トースターのランプだけが赤く点滅し、庭には赤と黄色のヘリコプターのおもちゃが落ちている。知人が流す血もカラーで描かれ、第2話では場面全体がカラーに色づいていくシーンも登場。
第2話が終了した段階で、これらが何を指すのかは明言できないが、この部分が明かされたとき、これまでのMCU作品とのつながりがはっきりと示されるのだろう。こちらも、やはりMCU作品である以上、本流のストーリーときっちりとコネクトするものになるであろうし、どれだけ突飛な演出を施したとしても、その前提を崩さないことにこのシリーズの偉大さがあるわけだから、観るほうの期待も高まるというもの。つまり、『ワンダヴィジョン』は、これまでMCUが築いてきたブランドに対する挑戦でもあるのだ。