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ソダーバーグ版『ソラリス』寂しさの感覚が充溢する映像詩

(c)Photofest / Getty Images

ソダーバーグ版『ソラリス』寂しさの感覚が充溢する映像詩

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映画化作品に苦言を呈した原作者レム



 タルコフスキーの『惑星ソラリス』は映画史的にも傑作として語り継がれているが、原作者のレムは気に入らなかった。いや、気に入らなかったどころが、三週間タルコフスキーと角を突き合わせて議論を重ねたあげく、「お前はバカだ」と言い放って袂を分かったのだ。実際タルコフスキーが施した改変は、レムの原作の精神とはまったく別のベクトルに舵を切ることだった。


 タルコフスキーが『惑星ソラリス』に持ち込んだのは、いささか乱暴に括ると「郷愁」である。冒頭では原作にはない地球での田園風景の描写が続く。ケルビンは家族や故郷に思いを馳せ、最後にはソラリスの海の中に再び故郷の風景を見つける。宇宙の果ての果てまでたどり着いたその先でも、人間は母なる大地に回帰するというテーマ性はいかにもタルコフスキーらしいが、これがレムを激怒させた理由のひとつだった。


『惑星ソラリス』予告


 どちらが正しいとか優れているという話ではないが、レムにとっての『ソラリス』は哲学と科学にまつわるSFであり、タルコフスキーにとっての『ソラリス』は人間の内面とルーツを掘り下げるツールだった。しかし『ソラリス』の生みの親であるレムは、自分の小説とはまったく指向性の違う映画ができることが許せなかったのである。


 ソダーバーグ版についても、レムは映画公開のタイミングで批判を含んだ文章を発表している。あくまでも「映画は観ていないし脚本も読んでいない」と前置きした上でだが、「いくつかの映画評を見る限りでは楽天的なラブストーリーらしく、自分が書いた本とはまったく意図が異なるハリウッド映画」と決めつけたのだ。


 原作者が必ずしも著作の映画化を観る必要はないし、作品の創造主として大抵のことは言って許されると思うが、さすがにこれはソダーバーグ版に対する誤解に満ちたコメントであり、「的外れな見解」だと断言したい。




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