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ソダーバーグ版『ソラリス』寂しさの感覚が充溢する映像詩

(c)Photofest / Getty Images

ソダーバーグ版『ソラリス』寂しさの感覚が充溢する映像詩

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ソダーバーグ版に充溢する“寂しさ”の感覚



 筆者の見解を述べると、ソダーバーグ版の『ソラリス』はタルコフスキーの『惑星ソラリス』に比べてはるかにレムの原作に近い。確かにソダーバーグ版ではケルビンとレイア(原作ではハリー)の愛憎劇にフォーカスしており、二人の出逢いから結婚生活、レイアの自殺まで、地球でのシーンがより詳細に描かれている。DVDコメンタリーでソダーバーグは「レムは映画を観ていないし、ぜひ観てほしい」と話しているのだが、もしレムがこの観ていたらタルコフスキー版と同様に奮然と怒りを表明したかも知れない。


 しかしソダーバーグ版と地球は、ケルビンが戻りたいと願うような郷愁の世界ではない。いつでも陰鬱に雨が降り、色彩に乏しく、無機質でよそよそしい。これはディストピア描写というよりもケルビン本人の感覚に基づいた記憶だからだろうが、タルコフスキー版の家族や郷土へのロマンチシズムとは程遠く、いささかの郷愁も感じさせない。



『ソラリス』(c)Photofest / Getty Images


 ジョージ・クルーニーが演じたケルビンは、ソラリスによって再生されたレイアを救うことを亡き妻レイアとの過ちを償うチャンスだと考えるのだが、ソダーバーグはその是非は問うたりはしない。ただ人と人とが関係性を結ぶ難しさや孤立感を取り入れることで、よりケルビンが抱えるパーソナルな闇に踏み込んでいく。ソダーバーグは比較的冷徹な視線を持った映画作家だが、『ソラリス』が彼のフィルモグラフィでも飛び抜けてエモーショナルなのは、誰もが知っている“悔恨の情”や“寂しさ”の感覚が作品に充溢しているからだろう。




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