子供⇔大人
ウェス・アンダーソンは、既に引退していたポーリン・ケイルに『天才マックスの世界』を見せに向かっている。ウェス・アンダーソンはどうしても彼女に自分の作品への批評を書いてもらいたかった。彼女がこよなく愛するビル・マーレイが出演していることが決め手だった。ウェス・アンダーソンの手記には、クッキーを持参して向かったポーリン・ケイルとの自作鑑賞会での少しビターな思い出が綴られている。ポーリン・ケイルは『天才マックスの世界』をどう評価していいのか、純粋に分からないと答えている。ウェス・アンダーソンは、パーキンソン病で手が震えるため既に批評は書けなかったポーリン・ケイルに、「口述筆記で評論を書いたことがありますか?」と尋ねたという。このときウェス・アンダーソンは、彼女に書いてもらいたかった『天才マックスの世界』への批評文を心に思い描きながら言ったという。ウェス・アンダーソンのポーリン・ケイル訪問記は、その気持ちがせつないくらいに伝わってくる素晴らしい文章だ。
『天才マックスの世界』は、ウェス・アンダーソンの映画史上もっとも幸福なラストを迎えるとよく評されている。マックスの書いた最後の演劇。戦場でお互いに銃を向けた男女が結婚を約束するシーンは、ビル・マーレイが本作を「完璧な脚本」と評するだけの理由がある。そして大団円を迎えるラストシーン。このときローズマリーの瞳は、目の前にいるマックスに自分に思いを寄せる少年と亡き夫の二つのイメージを見ている。マックスは片思いの相手に、亡き母のイメージを見ている。どちらの瞳にも大人と子供のイメージが映っている。それは幸福なことでありながら、同時に手が届かない存在であることを示している。ウェス・アンダーソンの映画における子供⇔大人の構図は、振る舞いによってその線引きから外れても、お互いの間に限界があることを示している。大人は徹底的な子供になれないし、子供は徹底的な大人になれない。ウェス・アンダーソンの奏でるビターでスウィートなシンフォニーは、舞台のカーテンと共に幕を閉じる。栄光は色あせる。しかし色あせていくからこそ、尊いものなのだ。
*1 Wes Anderson, Creating A Singular 'Kingdom'
*2 Interview Magazine [“Funny Men Bill Murray & Wes Anderson”]
映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
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