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『惑星ソラリス』原作者との見解の違いをも乗り越え、SF映画の傑作たらしめる理由とは

(c)Photofest / Getty Images

『惑星ソラリス』原作者との見解の違いをも乗り越え、SF映画の傑作たらしめる理由とは

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ラストシーンが持つ意味とは



 そんな家族への思いを、さらに強調しているのが、ルネサンス後期の画家ピーテル・ブリューゲルの「雪中の狩人」がフィーチャーされている部分だ。獲物は少ないが、懐かしい故郷に帰ってきた狩人たちの心情に、ケルヴィンの感情が重ねられるのである。ソラリスと地球との物理的な距離は、ケルヴィンと在りし日の家族の精神的な距離とも呼応していたのである。


 そして本作のラストシーンは、ケルヴィンがついに故郷の家へと帰ってくるところが描かれている。そこには、懐かしい父親の顔もあり、ケルヴィンは思わず彼に抱きついて泣きじゃくる。しかし、やはり何かが違う。家や父親が水でびしょびしょに濡れているのである。そしてカメラが上空へと引いていくと、本作の大仕掛けである驚愕の事実が判明し、映画は幕を閉じることとなる。


 前述したように、水のイメージは映画の当初から、故郷と関連づけるかたちで登場していた。そこで一人、雨のなかに佇むケルヴィンの姿を映し出していたように、彼は父親と一緒に母親や妻を亡くした悲しみを分け合いたいという思いを隠し持っていたのかもしれない。父親と一緒に水に濡れるイメージは、その願望の象徴だと考えることができるのではないか。


 このようなカタルシスのある内省的な結末の映画とは裏腹に、原作者レムは、このようなケルヴィンの内面部分を確かに作中の要素として描きつつも、そこに帰着せずに、そういったものをむしろ人間の限界ととらえ、人智や理解を超えたところにいる、神にも似た存在のソラリスに、人間の次の可能性を暗示させるといったラストを用意していた。だからこそレムはテーマを引き戻されたと感じたのだろう。従来の人間ドラマや古典文学のテーマを、超越すべきものと考えたレムと、そこにこそ充実した世界があると考えたタルコフスキー監督。どちらの方向性を評価するかは、受け手の判断に委ねられている。





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