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『惑星ソラリス』原作者との見解の違いをも乗り越え、SF映画の傑作たらしめる理由とは

(c)Photofest / Getty Images

『惑星ソラリス』原作者との見解の違いをも乗り越え、SF映画の傑作たらしめる理由とは

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現代に通じるテーマ



 さて、せっかくなので、現在の目で本作を観た場合に、より大きな意義と問題意識が感じられる部分についても言及したい。それが、ケルヴィンの心の奥底にあった葛藤が浄化されるラストについて、これを悲劇と見るか、幸福の姿と見るかという点である。客観的に見れば、ケルヴィンは精神に異常をきたしているようだが、ケルヴィン本人の主観に限れば満足だったのではないかと考えることもできる。それはソラリスに生み出されたハリーとの関係にも重ねられる部分である。


 突きつめて考えれば、人間と人間との触れ合いには、本当に相互的な関係が必要なのかという疑問が浮かびあがってくる。それは例えば、バーチャル体験が人間の真の体験に代わることができるのか、そして人工知能が飛躍的な進歩を遂げている現在、われわれはAIと感情のこもった交流ができるのかという問題へと、自然に導かれる。


 一人でおこなうバーチャル体験や、AIとの対話には、感情を持つ人間同士の相互的なやりとり、つまり真のコミュニケーションは存在しない。現状、AIには感情がなく、プログラムと学習によって、感情がある振りをして見せているだけだ。しかし、そういったサービスを受ける本人がそこで幸福感を得られ、課題や苦悩を解消できるのであれば、そこに意味がないとは言えないはずだ。本物の父親との関係に失望をおぼえていたケルヴィンは、むしろバーチャル的体験であるからこそ、心の奥底の感情を表出することができたとも考えられるのである。


 そのように考えれば、この一連の描写は、現在のわれわれが直面している課題そのものであり、無視できないテーマを扱っているのだと気付かされる。タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』は、原作と離れたところに着地しながらも、紛れもなくSF作品としての骨太なテーマを持った作品だったといえるのである。これは現代だからこそ、よりはっきりした部分であるといえるだろう。



文:小野寺系

映画仙人を目指し、さすらいながらWEBメディアや雑誌などで執筆する映画評論家。いろいろな角度から、映画の“深い”内容を分かりやすく伝えていきます。

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