映画業界との接点
そもそもクライトンの夢は、医師や小説家よりも映画監督になることだったそうだ。そして、自身のサスペンス小説「サン・ディエゴの十二時間」(72)のTV映画化権が、ABCに買われる。クライトンは、同社の開発担当副社長だったバリー・ディラーに働きかける。ディラーは、脚本をベテランのロバート・ドジアーに任せることを条件として、クライトンの要求を認め、彼はABCムービー・オブ・ザ・ウィークの『暗殺・サンディエゴの熱い日』(72)で監督デビューを果たした。
次にクライトンのエージェントは、同じエージェント仲間のポール・N・ラザルス三世を紹介する。ラザルスは映画プロデューサーを目指しており、すでに短編ドキュメンタリー『The Cell: Part One』(71)で製作総指揮を務めていた。彼は友人となったクライトンに、一緒に劇場向け長編映画を作ることを約束する。
クライトンは『007』シリーズのようなアクション映画を希望していたが、「スタジオ側が受け入れないだろう」という自覚はあった。ここは不本意ながら、『アンドロメダ…』での知名度を利用して、SFで長編監督デビューすると決める。そして『ウエストワールド』の脚本を72年8月に書き上げた。ラザルスは「なぜ一度小説として出版せず、書き下ろし脚本にするのか?」と尋ねたところ、クライトンは「この物語は視覚的要素が重要で、小説としてはうまくいかないと思う」と答えている。
この脚本は大手スタジオ各社に送られたが、買ってくれたのはMGMのみだった。当時のMGMは、恣意的で強引な脚本修正、貧弱なポストプロダクション、完成したフィルムを勝手に再編集するなど、映画制作者の間での評判が非常に悪かった。だが、ラザルスとクライトンに選ぶ権利はない。しかし、当時MGMの制作部長として雇われたばかりのダン・メルニックが、「スタジオ側の不当な圧力から君たちを守る」と約束(*4)してくれたことで、具体的に作業が始まる。
*4 それでも結局MGMは、撮影初日まで脚本の変更を要求し、キャスティングについてはクライトンに一切の権限を与えなかった。そして、ピーターとジョン役の出演契約が交わされたのは、クランクインの48時間前だった。