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『ウエストワールド』AIを予見しCG技術の黎明となった、マイケル・クライトン長編監督デビュー作(後編) ※注!ネタバレ含みます
『未来世界』
『ウエストワールド』がヒットしたことで、MGMは続編の製作をプロデューサーのポール・N・ラザルス三世に依頼する。ラザルスは、この話をクライトンに打診するが、彼は断ってしまった。ラザルスは仕方なく、B級映画やテレビムービーなどで活躍していた、リチャード・T・ヘフロンを監督として選んだ。だがMGMは、予定していたバジェットを『2300年未来への旅』(76)へ注ぎ込むことに決定してしまったため、企画が宙に浮いてしまう。そこで、元MGM社長のジェームズ・T・オーブリー率いるオーブリー・カンパニーが制作会社となり、低予算映画を専門とするAIPが、資金提供と配給を行うことで合意した。こうしてスタートしたのが『未来世界』(76)である。
ラザルスは、この作品に本格的なCGを導入しようと考え、クライトンの勧めで再びホイットニー・ジュニアに協力を持ち掛ける。実はホイットニー・ジュニアは、『ウエストワールド』の後でCGのビジネス化を画策し、74年にピクチャー/デザイン・グループ(PDG)という会社を設立していた。ここでは、天文学者のカール・セーガンが劇場長編映画として企画していた『COSMOS』(*6)の、パイロット版を制作している。しかしPDGに出資を約束していた人物が心臓発作で亡くなり、『COSMOS』の企画も凍結になったことで、わずか9ヶ月間で倒産してしまった。
だから『未来世界』への参加は大きなチャンスと捉え、再びトリプルアイの役員会に話を持ち掛け、社内にCGによる映画制作を目的とするエンターテインメント・テクノロジー・グループ(*7)を76年に結成した。このグループは、主人公チャック・ブローニング役のピーター・フォンダの頭部写真を撮影し、4,000ポリゴンのフォン・シェーディングによる3DCGアニメーションにして、解像度3,012×2,300でレンダリングした。この映像は、一般人が目にする初めてのフォトリアルなCG(*8)となった。
*6 結局『COSMOS』は、全13回のテレビシリーズとして制作され、80年に放送された。
*7 トリプルアイのエンターテインメント・テクノロジー・グループは、82年にディズニーの『トロン』のCGを手掛ける。しかしこのころホイットニー・ジュニアは、同社を去って新たにデジタル・プロダクションという会社を設立していた。ここはスーパーコンピュータCRAY X-MPを導入し、『スターファイター』(84))や『2010年』(84)、『ラビリンス/魔王の迷宮』(86)といった作品のCGを手掛けている。
*8 筆者は高校生の時にこの映像に感動し、将来はCGの道に進もうと考えた。またこれ以外にも、コントロールセンターのモニターに、人間の手を描いた3DCG映像が登場する。これは、当時ニューヨーク工科大学CG研究所に在籍していた、エドウィン・キャットマルとフレッド・パークが提供したものだ。彼らがユタ大学の大学院で72年に制作した映像で、『Halftone Animation』、または『A Computer Animated Hand』と題されている。