(c)和月伸宏/集英社 ©2020映画「るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning」製作委員会
『るろうに剣心』驚異のアクションで漫画実写化に革命を起こした、大人気シリーズ!
極限状態で引きずり出される、役者の生の表情
そして、実写映画『るろうに剣心』を通じてハイライトといえるのが、『るろうに剣心 伝説の最期編』で展開する5人が入り乱れる衝撃的な死闘だ。
あまりに強すぎる志々雄に対し、剣心・斎藤・剣心の相棒である相楽左之助(青木崇高)・蒼紫の4人は一斉攻撃を仕掛ける。しかし、志々雄はその4人をさばき切り、剣心たちは窮地に陥っていく。また、志々雄は「無限刃」と呼ばれる特殊な刀を使っており、刃がのこぎり状になったこの刀は、人を斬れば斬るほど人の脂が蓄積されていき、摩擦によって燃えるという性能を持つ。さらに志々雄は剣術だけでなく「相手にかみつく」「殴り飛ばし、蹴倒す」などの拳闘にも秀でており、『るろうに剣心 伝説の最期編』で描かれるバトルは、壮絶に次ぐ壮絶。
目を血走らせ、痛みで絶叫し、血まみれ・傷だらけの状態になりながらも、目の前の敵を倒すために刀を振るい続ける。そこには純粋な闘気だけが満ちており、剣心や志々雄の戦いではあるのだが、同時に極限まで追い詰められた佐藤や藤原の“生の感情”が垣間見えてくるようだ。いわば一流アスリート同士の試合を間近で観戦しているような臨場感が、そこにはある。
大友監督は、イベントやインタビューなどで「役者がこれまで見せたことのない表情を引き出す」ことが信条と語っているが、このシーンはまさに、大友監督の狙い通りではないだろうか。役と役者が限りなく同化した瞬間は観る者を奮い立たせるものだが、本シリーズは『るろうに剣心 伝説の最期編』でもって、ついにその領域に達したといえるだろう。本作があったからこそ、『るろうに剣心 最終章 The Final』での剣心と縁の迫力ある一騎打ちが生まれたともいえる(新田は本番直前まで腕立て伏せを行い、パンプアップした状態で撮影に挑んでいたという)。
ここまで『るろうに剣心』は、従来の時代劇アクションに縛られない動きが魅力と書いてきたが、『るろうに剣心 伝説の最期編』では最終的に、日本剣術の「型」に立ち戻るという演出も、感慨深いものがある。剣心が師匠の比古清十郎(福山雅治)から教わった飛天御剣流の奥義「天翔龍閃」は、高速の抜刀術。つまり、居合だ。ただし、通常の抜刀術の型からさらに一歩踏み出すことで放たれる技であり、そこには「生きようとする意志」が不可欠となる。
シリーズを通じて『るろうに剣心』では、過去の贖罪がテーマになっており、奥義を使いこなすためには、剣心の中にある「死んでもいい」感情を乗り越える必要がある。これは、剣心の生きざま全てに関わってくるもの。奥義を会得すること自体が、過去と向き合う構造は、実に意義深い(これは、『るろうに剣心 最終章 The Beginning』を観終えた後だとより胸に迫ってくるのではないか。こうしたように、本シリーズは、公開順に全5作を観終えてからまた2周目に戻ると、新たな発見があるように作られている)。
そして、剣心と志々雄が最後に向き合うシーンでは、「地獄で会おうぜ、抜刀斎」「志々雄真実、さらばだ」と互いに武士の名乗りを行う。ここもまた、陰の存在であった人斬りのふたりが、伝統に則ってそれぞれの生きざまを認め合う名場面だ(「るろうに剣心『Road to Kenshin』 第9章 壮絶!~志々雄VS剣心~」の中で、大友監督・佐藤・藤原がこのシーンについて意見交換する光景が収められている)。