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『スウィート・シング』アレクサンダー・ロックウェル監督 魔法の時間だった80〜90年代のNYインディペンデントシーン【Director’s Interview Vol.158】

『スウィート・シング』アレクサンダー・ロックウェル監督 魔法の時間だった80〜90年代のNYインディペンデントシーン【Director’s Interview Vol.158】

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魔法の時間だった80〜90年代



Q:1980年代から90年代初頭のインディペンデントシーンは、やはり特別だったんでしょうか? そして、当時の輝きは失われてしまったと感じていますか?


ロックウェル:すべては循環していると思うんだ。確かにあの時代は去ってしまった。ある種の音楽も消えていった。ジャズは偉大な音楽だし、今でも熱狂的なファンはいるけれど、かつてはもっとポピュラーで巨大な存在だった。ジョン・コルトレーンやマイルス・デイヴィスの時代にはね。


インディペンデント映画に関わる僕にとって、あの頃は魔法の時間だった。僕は小さなレストランで働いていて、店ではロックやブルースのバンドが演奏していた。大金は稼げなくても、ストリートで出会った誰かと友だちになり、週末になると自分たちの映画の撮影をしていた。


もちろんある程度のお金は必要だけど、今みたいにカネがすべてじゃなかった。当時は店でコーヒーを飲んでいると、ジム・ジャームッシュやリチャード・エドソンが入ってきて、「今からウィル・パットンが来るよ」なんて話してたんだ。今では役者と話そうとするだけで、まずはエージェントにカネがあることを証明しないといけない。とてもいいこととは思えないね。


でも、これからまた変わっていくよ。観客だって同じストーリー、同じヒーロー映画には飽きていく。そして新しいことが起きるんだ。

 

『スウィート・シング』©️2019 BLACK HORSE PRODUCTIONS. ALL RIGHTS RESERVED


Q:リチャード・エドソンは、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(84)に出演していた人ですよね?


ロックウェル:そうだよ。『ドゥ・ザ・ライト・シング』(89)ではジョン・タトゥーロの弟役だった。古い友だちで、ミュージシャンでもある。あの頃は大勢がロックンロールに関わっていたからね。小さな映画館で『パーマネント・バケーション』(80)を観て、電話帳で「J・ジャームッシュ」の番号を調べて電話したことを覚えてる。「ハロー、ジム・ジャームッシュかい?」「ああ、そうだ」「アレクサンダー・ロックウェルだ、君は素晴らしい監督だよ、もっと映画を撮るべきだ」。すると彼はこう言ったんだ。「でも俺は音楽がやりたい」って。僕は「何言ってんだ! それも悪くないかも知れないけど、君は映画を作れよ」って返したよ。なんなら自分の功績だって言いたいね。あの時ジャームッシュは『ストレンジャー・ザン・パラダイス』はやりたくないって言ってたんだから(笑)。





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