『スウィート・シング』アレクサンダー・ロックウェル監督 魔法の時間だった80〜90年代のNYインディペンデントシーン【Director’s Interview Vol.158】
80年代後半から90年代初頭に隆盛を迎えたNYのインディペンデントシーンで、ジム・ジャームッシュやスパイク・リー、ハル・ハートリーらと並んで活躍した映画監督、アレクサンダー・ロックウェル。タランティーノらとオムニバス映画『フォー・ルームス』(95)にも参加したが、その後、日本で作品が紹介される機会はあまりなかった。
しかしロックウェルはインディペンデントで活動を続ける一方、ニューヨーク大学で教鞭を執り、『ノマドランド』(20)のクロエ・ジャオ監督ら若手の育成にも力を注いできた。そして実子であるラナとニコを主演に起用して、完全な自主映画体制で最新作の『スウィート・シング』(20)を完成させた。
主人公は、定職のない父親(ウィル・パットン)と暮らす15歳のビリー(ラナ・ロックウェル)と11歳のニコ(ニコ・ロックウェル)。ところが父親がアルコール中毒で施設に入ることになり、離れて暮らしていた母親の恋人の家に預けられる。しかし粗暴な母親の恋人に危険を感じた2人は、近所の少年マリクと一緒に逃避行の旅に出る。モノクロとカラーを組み合わせた映像が美しい、詩的なロードムービーに仕上がっている。
『スウィート・シング』(20)は、昨年の東京国際映画祭で『愛しき存在』のタイトルで上映されて好評を博し、単独監督作としては25年ぶりに日本で劇場公開されることになった。さらに出世作『イン・ザ・スープ』(92)の再上映(10月29日から新宿シネマカリテで一週間限定)も決まっている。そんなロックウェルに、インディーズであり続けるこだわりと新作について話を聞いた。
Index
- 人生は短いけれど、アートの寿命は長い
- 魔法の時間だった80〜90年代
- 子供たちのピュアなスピリット
- 『地獄の逃避行』が教えてくれたアメリカの詩情
- 映画は観た人が自分のものにしてくれればいい
- 役者ではない町の人々を起用した理由
- どの映画でも同じことを繰り返してしまう
人生は短いけれど、アートの寿命は長い
Q:『イン・ザ・スープ』は今でもファンの多い作品ですが、監督の作品が日本で劇場公開されるのは『イン・ザ・スープ』から28年、『サムバディ・トゥ・ラブ』から数えても25年ぶりです。日本でのブランクについて見解を教えてもらえますか?
ロックウェル:僕は日本では人気がないんだよ(笑)。いや、ちゃんと話そう。アメリカではインディペンデントなフィルムメイカーにとって素晴らしい時代があった。僕やハル・ハートリーやジム・ジャームッシュ、他にも大勢いたけれど、世界に対して扉が開かれて、ドイツや日本やフランスでも作品が公開されるようになった。
『イン・ザ・スープ』予告
例えば『イン・ザ・スープ』には日本の会社も出資していて、日本での公開が前提だった。でも次第にインディーズでは資金を得るのが難しくなり、扉は閉じてしまったんだ。ハルや僕はハリウッドの商業的な映画に興味がなくて、僕ら自身の映画を作りたい。でも今のアメリカでは『スウィート・シング』みたいな映画を作るのは本当に難しい。だから僕らはクラウドファンディングで資金を募るなど、従来とは別のやり方をしないといけなくなったんだ。
でも25年なんてなんてことないよ。人生は短いけれど、アートの寿命は長いからね。ただ、次の映画までは25年も待たせないと約束するよ。