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『PiCNiC』岩井俊二×浅野忠信×CHARAが挑んだ境界線上の人々【そのとき映画は誕生した Vol.1】

(C)1996, 2012 FUJI TELEVISION/PONY CANYON

『PiCNiC』岩井俊二×浅野忠信×CHARAが挑んだ境界線上の人々【そのとき映画は誕生した Vol.1】

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特殊現像と72時間の撮影



 同じスタッフによる2本連続撮影という方式は、当時隆盛だったVシネマによく見られたが、『undo』と『PiCNiC』の場合は、まず『undo』が先行してクランク・インし、4日間のスケジュールが組まれた。しかし、予定通りに終わることはなかった。撮影助手を務めた福本淳は、「撮影3日目の夕方に、翌日のスケジュール表がスタッフに渡されたんですが、終了予定時刻が72時って書いてある。72時ということは3日間続くということです」(「カメラマン篠田昇の残したもの」堀越一哉・著、エスジェイピーパブリッシング)と回想する。


 つまり、予定されていた4日に加えて、2日間の撮影延長ということになるが、時間の表記法からも分かるが、24時間で区切っていないということは、撮影最終日である4日目が延々と続いているということになる。福本は、「スケジュール表の下に、『大変な撮影になりますが、撮影のよきところで、4時間仮眠をとります』って書いてある。帰れないということ」(前掲)と解説する。最終的にそれに近い時間をかけて撮り終えたという『undo』は、内容だけを見れば4日で撮り終えることは難しくなかったはずだが、世田谷の撮影スタジオ・東宝ビルトに建て込まれた室内セットで、撮影の篠田昇と岩井のこだわりが炸裂する。


 山口智子が部屋のあらゆるものを縛りだすが、「自分の中にSM的趣向がないので、紐っていう題材を使って紐細工をやったという感じ」(「NOW and THEN」岩井俊二・著、角川書店)という岩井によるオブジェのような緊縛美術は、当然、仕込みに時間がかかる。結局、もうひとつスタジオを借りて、部屋の一部分を撮っている間にメインとなる部屋の飾り付けやライティングを行うことで消化していったが、凝りに凝るのは岩井だけではなかった。撮影の篠田が、それに輪をかける。『undo』も『PiCNiC』も基本的には当時のVシネマやテレビ映画で使用されていた16mmフィルムで撮影されていたが、部分的には劇映画で使用される35mmフィルムも用いていた。具体的に『undo』で言えば、坂道で山口と豊川がキスをして、その手前を幼稚園児たちが通過するという有名な場面は、望遠感とボケ味を出すために35mmで撮影されている。しかし、16mmと35mmを混在して使用すると、フィルムの粒状感やシャープさも異なるため、差異が明瞭になってしまう。そこで独自のルックを作り出し、なおかつ16mmとは思えないような質感を作り出すために用いられたのが、〈特殊現像〉だった。


 篠田は、『undo』の〈特殊現像〉について、「フィルム感度が50しかない低感度フィルムを200に増感。もちろん200の高感度フィルムはありますが、200のフィルムをそのまま使用するのと、低感度のフィルムを増感するのとでは、ルックが全然違ってくる」(「映画撮影とは何か キャメラマン四〇人の証言」(平凡社)と、その意図を語る。撮影前には相当量のフィルムを使用してテスト撮影が行われ、増感、減感によるルックの変化を検証した上で、その違いが顕著に表れるEK(イーストマン・コダック)のフィルムを使用することが決定された。その結果、『undo』は感度50のフィルムを増感、『PiCNiC』は感度250のフィルムを減感する基本方針が固まった。


『undo』予告


 しかし、特殊現像を用いたため、撮影にも大きな影響を及ぼした。特に『undo』のクライマックスとなる山口の全身を豊川悦司が縛ってしまう場面は、完成した映画を観れば、それまでと同じ部屋とは思えない。まるで此岸と彼岸の狭間を思わせる空間に見えてくる。その映像を作り出すために、篠田は感度50のフィルムで減感を試みる。それまでの増感ではなく減感を行うということは、太陽と同等の光を当てないと室内では映らない。強烈な光と猛烈な熱さの下で、山口は縛られたまま何時間もじっとしていなければならなかった。


 こうして撮られた映像は、同時代の日本映画の中では際立つものがあったが、同時に撮影助手の福本が語る視点も忘れてはなるまい。「篠田さんにしてみれば、撮影に入る前から4日間で撮るつもりはなかったんです。(中略)ほとんど寝ないで撮るつもりでいたと思う。このあたりが今の映画との現状の違いで、プロダクション自体の考え方も変わってきている」(「カメラマン篠田昇の残したもの」)。


 そう振り返る福本は、「今ではこんな撮り方、もうできない」と言う。しかし、だからと言って、かつては無理が出来たからこそ、こんな映画が作れたのだと短絡的に考えるべきではない。撮影日数4日ではなく、そこに72時間を加算した1週間、もしくはそれ以上の撮影日数を最初から与えられる環境を整えれば、才ある監督とキャメラマンによって、こうした映像を作り出す可能性が増えてくる。


 『undo』の撮影を終え、約2週間の準備期間を設けた後、『PiCNiC』の撮影が始まった。連日30度を超す猛暑が続くなか、今度は4日ではなく2週間の撮影日程が組まれていたが、そこでは映画そのものを壊しにかかるような展開が待ち受けていた。




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