(C)1996, 2012 FUJI TELEVISION/PONY CANYON
『PiCNiC』岩井俊二×浅野忠信×CHARAが挑んだ境界線上の人々【そのとき映画は誕生した Vol.1】
「日本バージョン」から16年後の「完全版」公開
映画監督として順風満帆なスタートを切った岩井にとって、『PiCNiC』の公開延期事件は最初の挫折となったはずだが、幸いだったのは、『PiCNiC』の代替併映作品として浮上したのが、岩井が日本映画監督協会新人賞を受賞した際の対象作『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』だったことだろう。この時点では、本放送と再放送の2回しか一般の目にふれる機会がなく、ソフト化もされていなかった。再編集されて劇場版としての体裁を整え、『undo』と共に1995年8月よりテアトル新宿で公開されると、当時の劇場記録を塗り替える大入りとなり、この傑作を〈映画〉として周知させた。現在も同館歴代3位の興行収入を記録している。2017年に製作された劇場アニメーションによる同作のリメイクは、この突発的な劇場公開がなければ存在しなかっただろう。
一方、『PiCNiC』は第46回ベルリン国際映画祭でオリジナル版が上映され、フォーラム部門ベルリン新聞読者審査委員賞を受賞するなど、海外での上映は行われていたが、依然日本での公開は延期されたままになっていた。ようやく1996年6月15日、シネセゾン渋谷で岩井のTVドラマ『FRIED DRAGON FISH』を併映作に加えて公開されたが、そこには「今回の上映は日本バージョンで上映されます」という断りが付いていた。
この件について「週刊金曜日」(96年6月28日号)は、「映倫は白衣の女医と若い精神病者の性的シーンの削除を求め、岩井俊二監督が拒否したためわが国での公開は半年以上も遅れた。「日本バージョン」と明示、問題の場面は前後の流れが“不自然に見えるように”することで岩井監督が妥協、ようやく公開の運びとなった」と解説している。
岩井は後年、「結局『PiCNiC』は約5分近いカットを余儀なくされた。その中には亡霊の教師がツムジに放尿の雨を降らせるシーンもあって、それは“地球最後の雨”のシーンでツムジが錯乱する伏線でもあった」(「トラッシュバスケット・シアター」)と、具体的にカットされた場面の細部を明かしている。
浅野忠信もカット箇所について、「塀の上を歩いている所を病院に連れ戻されて職員によって地下室に運ばれるくだりと、ツムジがそこで注射を打たれて女性の医師に犯されちゃう場面。5、6分程カットされたと説明されましたけど、その場面がないと、女性の先生の意味合いも変わってきちゃうんですけど」(「アクターズ・ファイル1」)と、さらに詳細にふれており、2人の発言から、おおよそのカットされた内容を把握することは出来ていた。
実際、「日本バージョン」を観ると、担架に拘束されたツムジとココが地下に運ばれていくカットが終わると、次は屋上で対話する2人の場面へと飛んでしまうので唐突な印象が残る。初見時は描写の省略に見えたものの、屋上のシーンの後は、精神病院を再び脱出して劇中では二度と戻って来ないので、前半に出てくる医師役の伊藤かずえがなぜ登場したのかが分からなくなり、岩井も言うように、複数の伏線が消えてしまう。撮影時に大幅な変更を行った上に、物語のキーポイントとなる描写も削除された状態で「日本バージョン」が上映されては、この時期の岩井作品としては例外的なまでに歪で未完成な印象をもたらしたのは無理からぬところがあった。
1996年に日本公開されて以降の『PiCNiC』に絡んだ話を記しておけば、サトルを演じた橋爪浩一が1999年に、撮影の篠田昇が2004年に亡くなっている。そうして、岩井作品の中でも忘却された1本になりつつあった2012年、Blu-rayが発売されることになり、それに合わせて『PiCNiC』が劇場で特別上映されることになった。「完全版」と銘打たれ、上映時間も「日本バージョン」の68分より長い72分のオリジナル版である。この上映用に映倫で再審査されたが、「劇中での着衣で自慰行為、股間愛撫がみられるが、親又は保護者の助言・指導があれば、12歳未満の年少者も観覧できます」という、16年前にはなかった〈PG12〉指定は付いたものの、かつて映倫から懸念された注射や精神病院の描写は問題にならなかった。いかに時代状況によって映倫の判断が揺れ、時には過剰過ぎるほどの表現規制が加わるかが、この一例を持ってしても理解できよう。
現行のソフト・配信で観ることが出来る『PiCNiC』は全て「完全版」となり、新たにHDテレシネされた鮮明な映像を基に、岩井自身がグレインノイズ、ノイズリダクションの再調整に携わり、初公開時のフィルムの発色に近かった旧盤のDVDとは異なるルックに仕上げている。その理由を岩井は、「以前は自分がOKだと思っていた映像でも、いまの眼で観てみると手を加えたくなりますし、製作当時の技術では実現できなかったこともあります。(略)僕自身の絵に対する考え方も変ってきていますので」(「HiVi」2012年10月号)と、新たなカラーグレーディングの意図について説明している。
旧盤DVDと比較すれば、画調の違いは明白だが、前述の削除シーンを復活させた以外にも、わずかに変化が生じていることに気づく。最初に塀の外へ出ようとする場面で、ココがツムジたちに話しかけるカットや、塀の上を歩く3人を見つけた自転車の警官のカットがそれぞれ「完全版」ではカット頭が3秒ほど長くなっているというわずかな違いや、拳銃で看板を撃つシーンに映る看板の絵が「完全版」では差し替わっていることに気づく。おそらくクオリティー面で納得出来ていなかった部分を現在の技術なら修正可能だけに手を加えたということだろう。一方で、16mmフィルムの特殊現像を用いた独自の映像に魅せられた者にとっては、フィルムのポテンシャルを引き出した〈手を加えていない〉『PiCNiC 完全版』を観たいという思いも残る。
岩井作品は『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』や『Love Letter』がそうであるように、1本の作品の中で視点が異なる2つの物語が形成されることが多いが、『undo』と『PiCNiC』も当初の予定どおりに上映されていれば、精神を病んでいく『undo』と、精神病院を舞台にした『PiCNiC』 という同一テーマを異なる視点から描いた2本立てになっていたことになる。
『undo』は豊川悦司と山口智子の関係が、〈縛られていたのか? ほどけていたのか?〉が問われるが、最後まで観ると、狂気の世界から逃れたのは豊川だったのか、山口だったのか判然としなくなる。
そして塀の内と外の境界線上を描いた『PiCNiC』は、約5分の削除シーンが復活した「完全版」によって、映画全体の印象が大きく変貌した。医師や看護士たちの異常性が強調して描かれた場面が加わったことで、全編を通してごく〈普通の人〉として演じ続けた浅野との対比が際立ち、〈病んでいるのは、塀の内にいる人か? 塀の外にいる人か?〉という問いかけが明瞭に見えてくる。
しかし、「完全版」の封印が解かれたことで、本作が完結したかと言えば、そうは思えない。『打ち上げ花火』のアニメーション・リメイクに合わせて出版された小説「少年たちは花火を横から見たかった」(角川文庫)で岩井は、同じ物語を新たな視点から再構築しており、さらに『ラストレター』でも、『Love Letter』の設定を見事にアレンジして全く異なる物語を作り出している。出版されることはなかったものの『PiCNiC』には途中まで執筆されたノベライズが存在するらしく、精神病院に入る前のココが自宅の屋根の上で日向ぼっこしながら自慰にふける場面などが書かれていたという。岩井自身も「当初自分が思い描いていた絵のイメージはもうちょっと大掛かりなものだったので、本来はもっと全然予算のかかる映画だったのかもな、と後になって思いましたね」(「SWITCH」2020年2月号)と語っていることから、近年のセルフ・リメイクとは一線を画す仕事を見ていると、不意に新たに構築し直された長編版の『PiCNiC』が誕生したとしても不思議ではない。
【参考文献】
『PiCNiC』DVD(フジテレビ映像企画部/ポニーキャニオン)、『PiCNiC 完全版』Blu-ray(フジテレビジョン/ポニーキャニオン)、『PiCNiC』劇場パンフレット、『undo/PiCNiC』台本、「トラッシュバスケット・シアター 」(メディアファクトリー、角川文庫)「NOW and THEN 岩井俊二」(角川書店)、「マジック・ランチャー 庵野秀明×岩井俊二」(デジタルハリウッド出版局)、「キネ旬ムック フィルムメーカーズ[17]岩井俊二 」(キネマ旬報社)、「映画撮影とは何か キャメラマン四〇人の証言」(平凡社)、「カメラマン篠田昇の残したもの」堀越一哉・著、エスジェイピーパブリッシング)、「アクターズファイル(1)浅野忠信」、「ザ・テレビジョン」「月刊カドカワ」「ダ・ヴィンチ」「SWITCH」「プリンツ21」「HiVi」「キネマ旬報」「読売新聞」「週刊新潮」「DECIDE」 https://www.eirin.jp/
1978年生。映画評論家。『映画秘宝』『キネマ旬報』『映画芸術』『シナリオ』等に執筆。著書に『映画評論・入門!』(洋泉社)、共著に『映画監督、北野武。』(フィルムアート社)ほか
『PiCNiC <完全版>』
ブルーレイ発売中 価格:¥4,180(本体¥3,800)
発売元:フジテレビジョン/ポニーキャニオン
販売元:ポニーキャニオン
(C)1996, 2012 FUJI TELEVISION/PONY CANYON