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『PiCNiC』岩井俊二×浅野忠信×CHARAが挑んだ境界線上の人々【そのとき映画は誕生した Vol.1】

(C)1996, 2012 FUJI TELEVISION/PONY CANYON

『PiCNiC』岩井俊二×浅野忠信×CHARAが挑んだ境界線上の人々【そのとき映画は誕生した Vol.1】

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オウム事件と映倫が映画にもたらしたものとは?



 当初、『undo』と『PiCNiC』は2本パッケージでビデオ化される予定で、それ先立ち、1994年10月7日からシネスイッチ銀座で『undo』が1週間限定上映されることになった。ほとんど宣伝もないままのレイトショー公開だったが、延べ2018名を動員したことで注目を集めた。これが岩井にとって初めての劇場公開作品となったが、この突発的な上映は、文化庁の映画助成金申請が理由でもあった。現在も若手・新進映画作家支援応募条件には、「過去に映画館又はホール等において1週間以上有料で公開(映画祭での有料の公開を含む)を行った、上映時間1時間以上の劇映画が対象」となっている。ようは助成金申請条件を満たすために『undo』を映画館にかけたわけだが、予想外に観客が殺到し、翌年の正式な劇場公開へと話が進む。ただし、観客との幸福な出会いをもたらした代償というわけではないが、助成金の方は審査に落ちたという。


 そして5か月後の1995年3月25日、同じくシネスイッチ銀座で岩井の長編劇映画第1作となる『Love Letter』が公開された。こんな時期に人が来るのだろうかと言われつつ、『undo』を遥かに超える観客が劇場を囲んだ。〈こんな時期〉とは、この5日前に地下鉄サリン事件が発生していたからである。最寄り駅である銀座駅は、サリン事件の渦中となった丸ノ内線、日比谷線も並走している。厳戒態勢の都内は繁華街も映画館も閑散としていたが、シネスイッチ銀座には観客がつめかけていた。


『Love letter』予告


 岩井はすでに長編第2作となる『スワロウテイル』の翌年公開が決定しており、この年に映画監督デビューした是枝裕和らと共に、次世代監督の中核として注目を集めていた。そうしたこともあってか、当初のビデオ発売を延期して、『undo』『PiCNiC』の2本立て劇場公開が決定した。オリジナルビデオから映画へと昇格することになったわけだが、元よりフィルムで撮影され、テレビドラマ時代から映画のように撮られてきた岩井作品にとっては、昇格というよりも本来のあるべき場所へ収まったと言えようか。ところが、『PiCNiC』は思わぬ形で公開が阻まれてしまう。


 終戦から50年目の節目となった1995年は、阪神淡路大震災にはじまり、地下鉄サリン事件に端を発するオウム真理教によるおびただしい事件・テロが相次いでいた。そうした世情の影響を受けるのが、映画倫理管理委員会――いわゆる映倫である。現在では、劇場によっては映倫審査を経ていない作品が上映されることもあるが、全興連(全国興行生活衛生同業組合連合会)に加入した大多数の劇場では、映倫審査を経ていない作品は上映しない申し合わせになっている。つまり、幅広い上映を考えるなら映倫審査は不可欠となり、この当時、劇場公開作品は規模の大小を問わず映倫の審査を受けることが当然の時代だった。


 『PiCNiC』について映倫は、「医者が無理やり、患者に注射する場面と、身動きできないようにされた男性患者を看護婦が強姦するような場面が、精神病院に対する誤解を招きかねず修正を依頼しました」(「週刊新潮」96年7月11日号)と説明する。映倫が定めた「映画倫理規程」の「8―麻薬・暴力及び残酷」には、「(2)適法でない注射、投薬、人工中絶等の表現に注意する。また適法であっても取扱いに慎重を期する」とあることから、表向きは規定に沿った修正依頼に見えるが、岩井は「そもそも暴れるから無理やり打つのが鎮静剤じゃないのか? 医療機関はそんなことはしないというあたりがタテマエのような気がしてならなかった」(「トラッシュバスケット・シアター」岩井俊二・著、メディアファクトリー・角川文庫)と不満を隠さない。


 そもそも、この〈修正依頼〉は、別の意味合いが含まれていた可能性が高い。それまで性表現に厳しい目を向けていた映倫は、1995年以降は暴力・薬物表現にも細かな注意を払うようになっていた。まさにオウム事件こそは、〈暴力と薬物〉によって引き起こされたものであり、この年から翌年にかけて、日本映画の暴力・薬物表現は厳しくチェックされることになった。


 例えば『シャブ極道』(96)は、映倫から「麻薬や暴力の描き方に問題がある」(「読売新聞・夕刊」96年5月18日)と成人映画指定になり、ビデオ発売時にはビデ倫(日本ビデオ倫理協会)からも、タイトルに〈シャブ〉という隠語を使用していることが咎められ、異なる題名で発売されることになった。石井隆監督の『GONIN2』(96)は、頭部を刀で切りつける描写によってR指定(中学生以下入場不可)となり、市川崑監督の『八つ墓村』(96)も、大量殺人犯が焼け火箸を赤ん坊に当てるカットが問題視され、「市川監督がしきりに不満を訴えていた」(「DECIDE」96年9月号)という。


 他にも、薬物注射と連続殺人が登場する私立探偵 濱マイクシリーズ第3弾『罠 THE TRAP』(96)は、映倫から5か所の問題カットが指摘され、2か所をカットしたもののR指定が覆ることはなく、1995年の公開予定を1年延期せざるを得なかった。監督の林海象は、「薬物注射で殺す場面がオウム事件を連想させることが問題らしいが、それはあまりにうがった解釈」(「読売新聞・夕刊』前掲」と憤る。


 これは『PiCNiC』と同じく、「注射針が出てきただけでも規制が加わるようになった」(「DECIDE」96年8月号)時代を迎えていた証左でもある。そして映倫マークの交付をエサにした〈修正依頼〉という名の検閲を岩井は拒絶した。こうして、すでに予告編もTVスポットも制作されていた『undo』『PiCNiC』の2本立て上映は見送られることになってしまう。




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