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『八つ墓村』(77年版)横溝ブームに角川映画、時代の渦中で何が起きたのか?【そのとき映画は誕生した Vol.3 前編】

※資料(新聞広告):筆者蔵

『八つ墓村』(77年版)横溝ブームに角川映画、時代の渦中で何が起きたのか?【そのとき映画は誕生した Vol.3 前編】

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1975年版『八つ墓村』の全貌



 1975年2月に企画検討がスタートした『八つ墓村』は、監督を野村芳太郎が務めることは決定済みだったが、脚本は当初から映画化を提案していた橋本忍ではなく、『飢餓海峡』(65)などで知られる脚本家・鈴木尚之が担うことになった。この間の事情は不明ながら、同時期に橋本プロでは『八甲田山』の製作を開始しており、この年の2月に八甲田でのロケハンならびに雪の実景撮影がスタートしていたことから、撮影に全て立ち会うことにしていた橋本が、『八つ墓村』の脚本執筆を行うことは物理的に不可能だったのではないか。この時点で、松竹と橋本プロダクションが『八つ墓村』を提携するという話は無くなったと思われる。なお、橋本が『八甲田山』の脚本執筆にとりかかったのは、1975年3月からである。野村は鈴木と組んだことはなかったが、たまたま2人で企画の話をしているときに、野村が『八つ墓村』をやりたいと言ったところ、鈴木も脚色に意欲を見せたことがきっかけになったという。


 1975年5月17日付で書かれた「八ツ墓村 企画書」(往々にして、八つ墓村を八ツ墓村と書かれることが多かった)は、表紙に「提案:野村芳太郎、鈴木尚之」とあり、冒頭の企画意図に「彼(筆者注:横溝正史)の作品の特徴である妖美感が、折からのオカルトブームと一致する点もあるのだろうが、彼の作品を貫くヒューマンなテーマ、作品の背景をなす土俗性、ストーリーの快的な展開が、新鮮な感触で受け入れられているのであろう。また、登場人物の一人一人に個性的な性格づけを行っているのも興味を深くしている」と分析した上で、「脚本構成に当っては、いくつかの問題点もあるが、このストーリーは、原作に忠実なものとした。例えば、時代なども、原作のままの昭和二十年代とした」とあり、その後ろに掲載された梗概も、原作にほぼ忠実にまとめられている。鈴木が執筆した脚本は発見できなかったが、企画書は鈴木による脚色の方向性が感じられるものになっているので、特徴的な部分を紹介しておこう。


 冒頭で村の伝説と過去の事件が語られ、現代(昭和二十年代)に移る。八つ墓村にも敗戦の余波が押し寄せてくる。田治見家では後継者問題が起き、同家の長老にあたる小竹と小梅の双子老婆は、同村出身で横浜の海岸通りに事務所を構える諏訪弁護士に、幼くして村を離れた鶴子とその子の辰弥を探し出すよう依頼するところから幕をあける。本来は辰弥の従兄弟にあたる里村慎太郎が相続人に該当するが、小竹小梅は慎太郎を嫌っており、そのために辰弥を探し出そうというのだ。


 梗概では、慎太郎と美也子の関係が詳細に描かれており、脚本化の段階で、2人の関係が強調されるであろうことを予感させる。戦中、村の期待を一身に集めた慎太郎は、参謀本部勤務の陸軍少佐だった。そして美也子は夫を通じて知り合った慎太郎と深い仲となり、夫の没後も交際を続けていた。戦後、慎太郎が村に復員すると、美也子も後を追うように東京から帰ってくる。慎太郎は終戦軍人の汚名を背負い、戦中とは打って変わって閉塞した生活を送るようになり、美也子は彼の再起を手助けしたいと思っているが、美也子からの愛に応じない。


 この時期、鈴木は連続ドラマ『華麗なる一族』など山崎豊子の作品を連続して手掛けていたが、映画では『海軍少年特別兵』(72)で庶民の視点から戦争を描くなど、戦争に翻弄される若者へのこだわりを強くしていた。1929年生まれの鈴木にとっては、等身大の視点で見つめた戦争である。それだけに、戦争によって人間性を失った慎太郎を軸に本作の脚色を行おうとしたとしても不思議ではない。実際、終盤では、辰弥の尽力で小竹小梅と慎太郎が和解するという原作にはない展開が記されている点からしても、鈴木が『八つ墓村』で何を描こうとしたのかが、おぼろげながら見えてくるようだ。


 もうひとつ、この時点では金田一耕助役に決定していなかった渥美清だが、鈴木との間に、特別な関係があったことに注目すべきだろう。三遊亭歌笑を渥美が演じた『おかしな奴』(63)の脚本を書いたことをきっかけに親しくなった鈴木は、私生活でも交流が生まれ、アフリカでの渥美のCM撮影に同行したこともあった。1972年には、渥美が企画した『あゝ声なき友』(72)の脚本も担っている。これは部隊で唯一人生き残った元日本兵が、戦友12人の遺書を配達して歩く物語で、ここでも戦後にまで続く戦争の影を描いている。


 これは筆者の想像にすぎないが、鈴木は『八つ墓村』で、金田一についても戦争体験者として描こうとしていたのではないか。横溝は『獄門島』で、「日本のほかの青年と同じように、かれもまたこんどの戦争にかりたてられ、人生でいちばん大事な期間を空白で過ごしてきたのである」と金田一の戦争体験を記したが、その後遺症が映像で描かれるのは、長谷川博己が金田一を演じたTVドラマ『獄門島』(16)まで待たねばならなかった(片岡鶴太郎が金田一を演じた『獄門島』では冒頭に戦場の金田一が登場したが、それ以上の意味はなかった)。


 戦争で精神を荒廃させた帰還兵――金田一耕助。その姿を、『あゝ声なき友』の鈴木×渥美コンビは見せてくれたかもしれない。





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