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『太陽を盗んだ男』を放った、ゴジと呼ばれた男【そのとき映画は誕生した Vol.4 前編】
『青春の殺人者』のあとに
評価された後にこそ、真に困難な道が待ち受けている。
長谷川和彦の第1回監督作『青春の殺人者』(76)は、キネマ旬報ベスト・ワンならびに日本映画監督賞を受賞するなど、映画監督としては最も恵まれたかたちでキャリアのスタートを切ることになった。
本作は中上健次の『蛇淫』を原作に、今村昌平がプロデュース、大島渚作品で知られる田村孟が脚本を担った。いわば、60年代を牽引した先行世代の映画人による手厚い庇護のもとで作られたわけだが、それを蹴散らすように、長谷川は強烈な自我を映画に刻みつけた。
もっとも、この時点の長谷川は、無名の新人監督ではなく、すでに映画界では名の知られた存在だった。今村が監督した『神々の深き欲望』(68)に末端のスタッフとして参加するところから映画界に足を踏み入れ、やがて、落城寸前の趣きだった日活へ出向する。助監督として藤田敏八らの作品に付き、瞬く間に頭角を現すが、その直後に日活がロマンポルノへ路線転換すると、助監督としてだけでなく、脚本家としても重用されるようになっていく。
この時期には日活の『濡れた荒野を走れ』(73)、『宵待草』(74)、東宝の『青春の蹉跌』(74)といった秀作へ立て続けに脚本を提供し、まだ監督作が1本もないにもかかわらず、『映画評論』の1974年2月号には、「日本映画を潤した日活ポルノも、新人が出なくなった。すでに出尽くしたのであろうか、そうとは言わせない。取りあえずいえば、長谷川和彦という大物のイメージをただよわす人物がいるではないか」(『映画評論』74年2月号)と書かれるまでになっていた。
実際、日活ロマンポルノで監督デビューの話も持ち上がるが、契約助監督である長谷川の起用に反対する声があり、流れてしまう。そして、1975年にフリーとなった長谷川は、沢田研二主演、久世光彦演出の連続ドラマ『悪魔のようなあいつ』(TBS系)の脚本を執筆するなど、確かに大物のイメージをただよわす一角の人物になろうとしていた。そして『青春の殺人者』で鮮烈な青春映画を作り上げ、新世代監督の代表に躍り出ると、人々の関心は、彼の次回作へと移っていくことになる。