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『太陽を盗んだ男』を放った、ゴジと呼ばれた男【そのとき映画は誕生した Vol.4 前編】
学生映画の旗手たち
『青春の殺人者』に続く長谷川和彦の次回作が、原爆を作る男の物語になることは、早い時期から公になっていた。
1977年8月11日号の雑誌『GORO』で、長谷川と大学映画サークルの学生たちが語り合う企画があった。早稲田、立教、明治、日大の学生たちが参加したが、その中には、後に映画監督となる日大の石井聰亙や、立教の黒沢清もいた。
この席で長谷川は脚本を執筆中の次回作について、こう語っている。
「原爆を自分で作っちゃうヤツの話なんだ。ボールぐらいの大きさで、原爆ができちゃう。それを仕掛けるわけだな、いろんなところに。例えば新宿のコインロッカーに仕掛けておいて電話を入れる。当たり前に大騒ぎになる。テキは、『何が望みだ、カネか? 何だ?』とかいうわけ。『カネもいいがとりあえずしてほしいことがある。野球のテレビ中継が9時に終わるのが気にくわない。最後までやらせろ』(笑い)。そういうことをマジに要求するわけ。(略)仕掛けるたびに5億払うとか10億払うとか値が上がってくる。そして最終的にはヤツが勝つ。カネも手に入れるんだな」
この企画を「当たるかな?」と尋ねる長谷川に、学生たちは口々に「当たりますね」「おもしろそうだもん」と賛同している。そして、長谷川からプロになる気はあるかと質問されると、「一生映画に関わっていくと思う」「映画だけでメシを食いたい」という声が挙がる一方で、石井は「オレは監督以外になりたくないね」と答えている。
誌面には残っていないが、この質問に黒沢は「現場で勉強がしたい」と答えたという。これは長谷川の記憶によるもので、黒沢自身は「『おまえ、現場やる気はないか』って言われて。で、『やらしてください』って言ったんです」(『映画愛[監督篇]』)と証言するが、いずれにしても石井とは対照的な答えを黒沢は口にしたことになる。
監督以外はやりたくないという言葉通り、翌年に石井は19歳のときに撮った自主映画『高校大パニック』(76)が日活でリメイクされることになり、ベテランの沢田幸弘と共同監督という形ながら、21歳で早くも商業映画デビューを飾ることになる。もっとも、それは決して幸福な第1歩とはならなかったが。
一方、黒沢が商業映画で監督デビューするまでには、ここから6年の歳月を要することになるが、それまでの時間をプロの撮影現場に携わることで、自身が監督としてどう采配して現場を動かしていくかを学んでいくことになる。実際、現在の黒沢は、長谷川を反面教師とする面が大きい。それがなぜかは、どのように本作の撮影が進められたかを見ていけば理解できるはずだ。
あだしごとはさておき、1977年6月にレナード・シュレイダーが企画を持って来日して以来、『太陽を盗んだ男』の原型となる脚本の執筆が始まっていた。まずは、長谷川の改稿要求を聞き入れながら、レナードが第1稿となる脚本をこの年の夏に書き上げている。
しかし、その内容に長谷川は不満を覚えた。主人公が政府から原爆をダシにして金を奪い、恋人とブラジルへ逃げるという結末が何とも安っぽく思えたからだ。これでは、原爆はただの金を引き出すための道具にすぎない。
さらなる改稿がレナードに要求され、年末近くに完成した第2稿では、映画の方向性がほぼ定まったと長谷川も満足する内容となった。殊にラストで主人公と刑事が対決した後、主人公が歩いているところで終わるという構成には大いに惹かれ、完成した映画でもそのまま活かされることになった。
一方で別の問題も残されていた。レナードは主人公を、巨大なコンピュータ会社でエンジニアをする22歳の青年に設定していた。彼は両親と同居しており、情緒不安定で家庭内のトラブルも抱えている。
すでに、前作で究極の家庭内トラブルというか、親殺しを徹底して描いた長谷川にとって、この設定には食指が動かなかった。むしろ、水谷豊が演じた『青春の殺人者』の主人公が、親殺しの後に都会で孤独に暮らす数年後の姿を、本作の主人公に重ねようとした。そこで、長谷川は主人公の年齢を29歳とし、どんな経歴を持ち、どこへ行こうとしているのか――といった背景を一切説明しない方針を立て、レナードの脚本を引き継いで、改稿作業に入っていった。
改稿を行う際、長谷川を最も悩ませたのが主人公の職業だった。レナードが設定したエンジニアに沿うかたちで、富士通やソニーに通って技術者たちと話してみたが、もうひとつピンと来るものがなかった。「何故原爆を作るのかという精神的なリアリティが職業の設定からも当然匂ってこなくてはなるまい」(『太陽を盗んだ男』劇場パンフレット)と考える長谷川は、ヘリコプターのパイロット、警官、玩具工場の工員など、思いつくままに会っては取材する日々が半年続いた。このあたりの執拗な調査魔ぶりは、師匠の今村昌平譲りである。
やがて、「本物のマッドボンバーのリアリティを持てそうな職業」(前掲パンフ)を見つけ出す。それは――中学校の理科教師だった。