ジョージ・ルーカスへの提案
さらに、従来のオプチカルプリンターに代わる、デジタル・オプチカルプリンターの開発を1978年から開始した。35mm 4P(パーフォレーション)・スタンダードとアナモフィック、35mm 8Pビスタビジョンなどのフィルムフォーマットに対応させたもので、1981年に完成している。
トリプルアイのスタッフはこの開発を始めるに当たって、ジョージ・ルーカスのILMから技術アドバイスを受けることにする。その時ホイットニー・ジュニアは、ぜひ『スター・ウォーズ』(77)の続編に参加させてくれないかと、ルーカスに強くアピールした。そして自分たちの技術を証明するために、戦闘機「Xウイング」を実物そっくりにCG(彼は「デジタルシーンシミュレーション」と呼んでいた)で描いて見せると約束する。そしてXウイングのミニチュアを借り受け、7万5000ポリゴンの3DCGとして描いた。ルーカスはそのリアリティに衝撃を受けるが、予算の見積もりを聞いて仕方なく断ることにした。(*7)
『スター・ウォーズ 新たなる希望』予告
このように、トリプルアイの技術は格段に進歩したのだが、その実力を発揮できる状況がなかなか得られなかった。この時期のホイットニー・ジュニアは、これまで作った映像をまとめたデモリールを各地で配布して、熱心に営業している(その情報は、当時学生だった筆者の耳にも、ほぼリアルタイムで届いていた。筆者は、ベータマックスのビデオデッキを背負って、コピーしてもらいに行った記憶がある)。
リズバーガーたちがホイットニー・ジュニアと知り合ったのも、この時期だったらしい。そして彼らは互いに連絡を取り合うと約束し、いっしょに仕事をする機会を待っていた。
トリプルアイ デモ映像
営業用デモリールとして編集されたもの。冒頭のマシンルームの実写に続くのは、劇場版『コスモス』と『未知との遭遇』のテスト映像。その後は、開発中のCGソフトのレンダリング・テスト、及び自主制作した3大ネットワーク(NBC、ABC、CBS)やメルセデスベンツのロゴ。最後は『未来世界』のピーター・フォンダ。
*7 ルーカスはこの提案を断ったが、CGやデジタル技術の可能性に気付き、トリプルアイの代わりにニューヨーク工科大学のCG研究所(以下NYIT/CGL)の首脳陣をヘッドハントした。この研究所は、エドウィン・キャットマルをリーダーとするユタ大学大学院卒業生と、PARCでペイントシステムに携わっていたアルヴィ・レイ・スミスらが、3Dと2DのCGをアニメーション向けに開発していた。ルーカスは、ルーカスフィルム社内にコンピューターの開発部門を発足させ、音響・編集・合成の3つのテーマで研究を開始する。しかし自身の離婚による慰謝料のため、この部門の売却が必要になった。その内の合成部門が、現在のピクサー・アニメーション・スタジオの原型になっている。
映画『ルッカー』と「Adam Powers」
ホイットニー・ジュニアは、最大の理解者であるクライトンにCGビジネスの可能性を相談していた。その時クライトンは、「本物と見分けがつかない、デジタル・ヒューマンができるのはいつだろうか?」と質問した。ホイットニー・ジュニアは、「10~20年後ぐらいだろう」と答えている。(*8)
クライトンは早速このアイデアを脚本にまとめ、SFサスペンス映画『ルッカー』(81)として監督することにした。ストーリーは「デジタルマトリックスという企業が、密かにテレビCMのモデルたちをCGにすり替えてしまい、そのCGモデルの目から放たれる催眠光線で、視聴者をコントロールする」というものだ。だが設定に無理があり過ぎるのと、演出があまりにもヘタクソで、日本では未公開に終わっている。
『ルッカー』予告
しかし随所に登場するアイデアが素晴らしく、人間の全身をデータ化する3Dスキャナーや、CGとステージをリアルタイムで合成するバーチャルセット、視線追跡による広告の効果分析など、今日では実現しているギミックが数多く見られる。
トリプルアイは、女優スーザン・ディがデジタルデータ化されていく過程を、ワイヤーフレームからシェーディング画像への変化として表現している。
そして同じく1981年にトリプルアイは、毎年開催される大規模なCGの学会ACM SIGGRAPHに、「Adam Powers」(あるいは「The Juggler」)と呼ばれるデモ映像を発表した。これは、曲芸をする大道芸人のモーションデーターに基づき、シルクハットとタキシードのCGキャラクターを描いた作品である。演出は、映画『スター・トレック』(79)の降板でロバート・エイブル&アソシエイツ(以下RA&A)を辞め、トリプルアイに移籍したリチャード・テイラーが担当していた。
トリプルアイ デモ映像
「Adam Powers」や『ルッカー』の映像が含まれる。YouTubeの解説では1982年となっているが、実際に公開されたのは1981年だ。ビデオ「SIGGRAPH Video Review」が学会会場で販売されたのは翌年だったため、勘違いしていると思われる。
*8 このころホイットニー・ジュニアは、ロングショットにおける俳優の代役や、あるいはすでに亡くなった俳優、さらにエイリアンや動物、大群集などをCGキャラクターに演じさせる可能性について、雑誌のインタビューで述べている。またクライトンとの対談で、恐竜をCGで蘇らせることについても語っている。つまりこの時点で、彼らはデジタルヒューマンやクリーチャー描写におけるCGの可能性を、かなり正確に予言していた。