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『ライトスタッフ』史実を元に作り上げた、フィリップ・カウフマンの脚色・演出術とは
『ライトスタッフ』あらすじ
1947年10月。伝説のテスト・パイロット:チャック・イエーガーがX-1ロケットで初めて音速の壁を破る。1957年10月。ソ連がスプートニクの打ち上げに成功。宇宙計画で大幅に遅れをとった事実をつきつけられたアメリカのアイゼンハウワー大統領は、マーキュリー計画の実現に向けて宇宙飛行士を選出。優れた資質=”ライトスタッフ”を持つ7人のパイロットが顔を揃えた。前人未到の宇宙へ飛び出すヒーローとなった彼らを待っていたのは、死と隣り合わせの危険と一人の人間としての葛藤だった---。
『ライトスタッフ』(83)は、トム・ウルフのベストセラー・ノンフィクションを原作とする、アメリカの宇宙開発史を描いた名作である。この映画が登場するまで“宇宙”は、SF(ないし科学教育映画やドキュメンタリー番組)の舞台でしかなかった。だが本作は、初めて“実話に基づく宇宙映画”という新たな歴史モノのジャンルを切り開き、後続の作品たちを生み出すきっかけにもなった。
また、仲間たちが次々に宇宙飛行士を目指し、英雄として称えられる中、黙々と航空機による速度や高度への限界に挑む、知られざるテストパイロットの姿も描いた人間ドラマでもある。
映画として感心するのは、1ショットとして無駄のない、完璧に練り上げられたフィリップ・カウフマンの構成だ。何度も繰り返し見直す度に、「あっ、これはあの場面の伏線だったのか!」「このセリフにはこういう意味があったのか!」という発見がある。
『ライトスタッフ』予告
そこで本稿ではヤボを承知として、あえて映画と史実の比較を行ってみた。それにより、カウフマンが実際の出来事を、どう脚色していったのかが浮かび上がってくる。
Index
- 原作発売から映画化までの道のり
- フィリップ・カウフマンの参加
- 脚本執筆
- XS-1の音速突破
- マッハ2への挑戦
- 宇宙飛行士のスカウト
- 米国人初の宇宙飛行
- 不幸だったグリソム
- グレンの軌道周回飛行
- ヒューストンのセレモニー
- NF-104Aで宇宙を目指すイエーガー
- エンディング
- 公開後の反応
原作発売から映画化までの道のり
作家・ジャーナリストのトム・ウルフは、6年間にも渡る綿密な取材に基づいたノンフィクション、「ザ・ライト・スタッフ‐七人の宇宙飛行士」を執筆した。
その内容は、大きく2つのブロックから構成されており、1つはベル・エアクラフト社が開発した実験機ベルXS-1(後のX-1)(*1)に乗り込んで“音速の壁”に挑戦した、陸軍航空軍のチャック・イエーガー大尉に代表される、航空機テストパイロットたちのストーリーである。当時は、「大気中には『音速の壁』という見えない壁が存在するため、物体が音速を超えることは不可能だ」という仮説が、航空関係者の間で広まっていた。
もう1つは、NASA(*2)初の有人宇宙飛行プロジェクトであるマーキュリー計画の、“マーキュリー・セブン”の名で呼ばれた7名の宇宙飛行士たち(*3)の物語だ。
この本が発売された1979年、NASAの有人宇宙飛行計画は長期に渡って空白期に入っていた。つまり1975年7月のアポロ・ソユーズテスト計画から、米国は人を宇宙に送っていなかったのである。
その一方で、『スター・ウォーズ』(77)や『未知との遭遇』(77)の大ヒットをきっかけとして、映画だけでなく小説、イラスト、音楽、テレビドラマなどで、空前の宇宙SFブームが起きていた。さらにフィクションだけでなく、製作費20億円が投じられた科学ドキュメンタリー番組『コスモス』が、天文学者カール・セーガンの監修・出演で制作されたのも、このころ(制作は78~79年、放送は80年)である。
こういった状況の中で発売された「ザ・ライト・スタッフ」は、たちまちベストセラーとなり、第31回全米図書賞のノンフィクション部門を受賞した。
原作が発売されてすぐに、映画化権の争奪戦が始まる。最終的に権利を勝ち取ったのは、『ロッキー』シリーズで知られる映画プロデューサーの、ロバート・チャートフとアーウィン・ウィンクラーだった。
さっそく彼らは、脚本を『明日に向って撃て!』(69)や『大統領の陰謀』(76)のウィリアム・ゴールドマン(*4)に依頼する。そしてウルフの原作から、宇宙とは直接関係ないチャック・イエーガーの要素を削除し、マーキュリー計画のみにスポットを当てたシナリオを完成させる。
チャートフとウィンクラーは1980年に、ユナイテッド・アーティスツへ企画を売り込む。同社は2,000万ドルの予算で製作に同意したが、間もなく『天国の門』(80)で大赤字を出して倒産し、MGMに買収されてしまった。
次に彼らは、ラッド・カンパニーに話を持ち掛ける。同社は、20世紀フォックスで『スター・ウォーズ』や『エイリアン』(79)を財政面で支援して成功させたアラン・ラッドJr.が、1979年に独立して立ち上げた新興スタジオである。そして、『ブレードランナー』(82)のような野心的プロジェクトへ、積極的に出資していた。ラッドJrは、1,700万ドル(最終的に2,700万ドル)の出資を約束し、製作にGOを出す。
*1 最初にチャック・イエーガーが音速を突破した1947年10月14日当時、機体の名称はXS-1(eXperimental Supersonic-1)だった。その後1948年から、X-1に名称が変更されている。さらに後述するX-1Aの他、テストの目的別にX-1B、X-1C、X-1D、X-1Eも開発された。
*2 ソ連が1957年10月4日に、人類初の人工衛星スプートニク1号を成功させた。これにショックを受けたアメリカは、NACA(National Advisory Committee for Aeronautics)を強化・再編した組織として、NASA(National Aeronautics and Space Administration)が1958年7月29日に発足した。
*3 アラン・シェパード、ガス・グリソム、ジョン・グレン、ドナルド・スレイトン、スコット・カーペンター、ウォルター・シラー、ゴードン・クーパーの7人。
*4 ゴールドマンが脚本を引き受けた理由には、当時イランで起きていたアメリカ大使館人質事件に対する憤りから、愛国的テーマを探していたということもあった。ゴールドマンは、ソ連の宇宙開発への対抗意識の要素を強調し、国家主義的なストーリーを書き上げた。