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『ライトスタッフ』史実を元に作り上げた、フィリップ・カウフマンの脚色・演出術とは

『ライトスタッフ』史実を元に作り上げた、フィリップ・カウフマンの脚色・演出術とは

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フィリップ・カウフマンの参加



 一方、監督の選出には難航した。最初の監督候補は、『がんばれ! ベアーズ』(76)のマイケル・リッチーだったが軌道に乗らず、次に『ロッキー』(76)で組んだジョン・G・アヴィルドセンにも当たってみたが、結局断られてしまう。


 そして辿り着いたのがフィリップ・カウフマンだった。彼は1976年に、『スター・トレック』の劇場版プロジェクトとして、『Star Trek: Planet of the Titans』という作品の監督に選ばれていた。カウフマンは相当に乗り気で取り組んでいたが、パラマウントの幹部たちは公開前の『スター・ウォーズ』の悪い評判を耳にし、「SF映画に未来はない」と判断して、1977年にキャンセルしてしまう。



 その後カウフマンは、60年代を舞台とした青春映画『ワンダラーズ』(79)を監督し、ジョージ・ルーカスを手伝って『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(81)のストーリー原案を書いたりしていた。


 こんな時に持ち込まれた企画が、「ザ・ライト・スタッフ」の映画化だったのである。彼は、「監督するのはOKだが、ゴールドマンの脚本が気に入らない」と答えた。その理由は、「あまりにもナショナリズムが全面に出ていて辟易すること」、そして「イエーガーのエピソードが完全に削除されていたこと」だった。カウフマンは、自分にイチから脚本を書かせてくれること条件に監督を引き受ける。



脚本執筆



 カウフマンは原作に立ち返り、ハードカバーで448ページもある内容の分析を始めた。ウルフの文章はある程度脚色はされているが、基本的に事実を並べたものだった。そのため全体を通した主人公がおらず、過剰にドラマチックな展開もない。


 そこでカウフマンは、冒頭とクライマックスにイエーガーのエピソードを配置し、ある程度史実を映画的に誇張してドラマに起伏を作り、異なる組織や時代に活躍した人物たちに、(大きなウソのない範囲)で繋がりを持たせることにした。




 そして、マーキュリー計画に選ばれた男たち(*5)のエピソードを、この映画の主題に置いた。だが全員それぞれを描いていては、上映時間はいくらあっても足りない。そこでカウフマンは比較的ドラマチックなエピソードを持つ、シェパード(スコット・グレン)、グリソム(フレッド・ウォード)、グレン(エド・ハリス)、クーパー(デニス・クエイド)の4人だけをクローズアップすることにした。(*6)


 また彼らが選ばれるまでの過程は、かなりコミカルに描写されている。特にソ連のスプートニク1号打ち上げに動揺する、リンドン・ジョンソン(ドナルド・モファット)ら上院議員たち、宇宙飛行士のリクルーターを演じるジェフ・ゴールドブラムとハリー・シェアラーのドタバタコンビ、そしてフォックス型眼鏡(いわゆるザマス眼鏡)を掛けた看護師長役のジェーン・ドーナッカー(*7)が良い味を出している。


*5 NASAが募集した最初の宇宙飛行士は、あくまでも男性の軍人パイロットに限られていた。そこで、女性の宇宙飛行士を誕生させるべく民間のプロジェクトが始動し、優秀な女性パイロットの13人が選ばれて「マーキュリー13」と呼ばれた。実際にマーキュリー・セブンと同様の訓練を受け、男性よりも優れた成績を記録したが、NASAやアメリカ政府は月経などを理由に、彼女たちの受け入れを拒否する(このエピソードは、Netflixのドキュメンタリー『マーキュリー13: 宇宙開発を支えた女性たち』(18)で描かれている)。


 一方、この情報を聞き付けたソ連は、1963年6月16日に初の女性宇宙飛行士ワレンチナ・テレシコワをボストーク6号に搭乗させている(ちなみに、彼女が緊急時に地上基地へ送ったコールサイン「私はカモメ」は当時の流行語になった。そして、特撮テレビシリーズ『ウルトラQ』(66)の第10話「地底超特急西へ」において、人工生命M1号が宇宙空間を漂いながらこのセリフを呟く)。


 NASAはテレシコワの反響を受けて、渋々1965年に女性にも宇宙飛行士になれる権利を与えた。だがそれが実行されることはなく、実際に宇宙に行ったアメリカ人女性は、1983年にスペースシャトル・チャレンジャーに搭乗したサリー・ライドまで待たなければならなかった。


*6 劇中では描かれていないが、スレイトンは心臓疾患が疑われてカーペンターと交代になり、1962年からは職員としてNASAに残る。彼が実際に宇宙へ行くのは、1975年のアポロ・ソユーズテスト計画が初となった。


*7 ドーナッカーは、ロックミュージシャンとラジオ番組のレポーターも兼任していた。そしてヘリコプターから交通情報をレポートしていたのだが、二度も墜落事故に遭っている。一回目は無事だったが、1986年10月22日に起きた二回目の事故で亡くなっている。



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