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『トロン』史上初の本格的CG映画、誕生への長い道のり (前編)

(c)Photofest / Getty Images

『トロン』史上初の本格的CG映画、誕生への長い道のり (前編)

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ついに動き出した『トロン』



 この「Adam Powers」を発表前に観たクーシュナとリズバーガーは、とうとう機が熟したと判断する。そしてすぐさま、トリプルアイに『トロン』のパイロットフィルム制作を依頼し、これを持って各映画会社を回った。しかし、「個性や感情を持ったプログラムたちが、コンピューターの中で戦う…」とプロットを説明しても、「意味が分からない」という反応がほとんどだった。


 そしてようやく、この企画にOKを出す会社が現れる。それは、彼らのリストのほとんど最後にあった、ウォルト・ディズニー・プロダクション(現ウォルト・ディズニー・カンパニー)である。彼らがディズニーに注目していなかった理由は、イメージとして保守的であることと、作品制作を外部に任せることはしないと思われていたからだった。


『ブラックホール』予告


 しかしディズニー側には、背に腹は変えられぬ事情があった。1966年12月にウォルトが亡くなった以後、社内のクリエイティブ能力は目に見えて低下していた。その典型的な例が『ブラックホール』(79)である。『スター・ウォーズ』を追い越そうと、鳴り物入りで公開された作品だったが、せっかく自社開発したモーションコントロールカメラACESも有効に活用されず、逆に恥を晒しただけだった。さらにデザインセンスの悪さも、時代から取り残されていることを明らかに露呈していた。従って外部の新しい力を導入することには、好意的にならざるを得ない状況にあったと言える。



コンセプトデザイン



 リズバーガーは、難解な『トロン』のコンセプトをイメージ化する必要があった。初期段階では、『アニマリンピックス』のアートディレクターだったロジャー・アレーズがコンセプトアートを描いていたが、どこか今一つの感じだった。


 そこで外部から、3人のデザイナーが招かれる。最初の1人は、『エイリアン』(79)の宇宙服も手掛けた、バンドデシネ作家のジャン“メビウス”ジローだった。彼は主に、キャラクターたちのデザインを担当している。



『トロン』(c)Photofest / Getty Images


 黒バックにネオン管が発光しているような、サイバー空間の世界観を生み出したのは、70年代の広告業界で人気のあった、エアブラシ・イラストレーターのピーター・ロイドだ。彼の有名な作品には、ジェファーソン・スターシップのデビューアルバム「ドラゴン・フライ」(74)や、ロッド・スチュワートのソロアルバム「アトランティック・クロッシング」(75)のジャケットイラストがある。


 「ライトサイクル」(レース用バイク)、「エレクトロニックタンク」(戦車)、「レコグナイザー」(監視用飛行マシン)、「サークキャリア」(空中戦艦)、「ソーラーセーラー」(空中帆船)といったメカのデザインは、『スター・トレック』のヴィジャーを手掛けたシド・ミードに依頼された。



後編はこちらから



文: 大口孝之 (おおぐち たかゆき)

1982年に日本初のCGプロダクションJCGLのディレクター。EXPO'90富士通パビリオンのIMAXドーム3D映像『ユニバース2~太陽の響~』のヘッドデザイナーなどを経てフリーの映像クリエーター。NHKスペシャル『生命・40億年はるかな旅』(94)でエミー賞受賞。最近作はNHKスペシャル『スペース・スペクタクル』(19)のストーリーボード。VFX、CG、3D映画、アートアニメ、展示映像などを専門とする映像ジャーナリストでもあり、映画雑誌、劇場パンフ、WEBなどに多数寄稿。デジタルハリウッド大学客員教授の他、東京藝大大学院アニメーション専攻、早稲田大理工学部、日本電子専門学校、女子美術大学短大などで非常勤講師。



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(c)Photofest / Getty Images

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