1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. 劇場版「鬼滅の刃」無限列車編
  4. 『鬼滅の刃』に宿る名作漫画への敬愛と「人の弱さ、心の強さ」の美学『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』
『鬼滅の刃』に宿る名作漫画への敬愛と「人の弱さ、心の強さ」の美学『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』

(c)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

『鬼滅の刃』に宿る名作漫画への敬愛と「人の弱さ、心の強さ」の美学『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』

PAGES


圧倒的逆境でも、鬼に立ち向かう「心」という武器



 「悲劇性」ともリンクするのが、2つ目に挙げた「心の描写」。これは今回の『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』で、象徴的に描かれた。


 本作では、鬼と関係するという「無限列車」に乗り込んだ炭治郎たちが、「乗客を夢の世界に閉じ込める」血鬼術を使う鬼・魘夢と対峙する姿が描かれる。この魘夢、相手に自在に夢を見せる能力を持っており、本作ではいわば『インセプション』(10)的な設定も見受けられる。それは、鬼の力を込めた縄で眠った対象と自分をつなぐと、夢の世界に侵入できるというもの。


 魘夢は子どもたちを使い、炭治郎たちの夢の世界へと送り込む。いわば、潜在意識へのダイブであり、まさに『インセプション』だ。ただ、彼らの目的はアイデアを盗み出すことではなく、夢の外側に広がる「無意識の領域」に入り込み、対象者の「精神の核」を破壊すること。そうすることで、廃人化させ、戦闘不能にしようというのだ。


 つまり、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』では、精神攻撃にどう対処するのか?が描かれる。ここで、「心の描写」が生きてくるのだ。


 もともと『鬼滅の刃』は、戦闘中に心を鼓舞するために発した炭治郎の名ゼリフ「頑張れ炭治郎頑張れ‼ 俺は今までよくやってきた‼ 俺はできる奴だ‼ そして今日も‼ これからも‼ 折れていても‼ 俺が挫けることは絶対に無い‼」など、「心の在り様」に重きが置かれている。



 鬼と人の決定的な違い、人を人たらしめているものは“信念”であり、心なのだということ。人は鬼のように回復能力も高くなく、ほぼ不死身でもない。血を流し、傷つき、1回きりの人生を必死に生きる儚い存在だ。『鬼滅の刃』は、人間に圧倒的に不利な状況が敷かれており、鬼殺隊の面々は、鬼の独壇場である夜に、彼らと戦う(昼間は鬼が気配を殺し、見つけられないため)。そういった明確な逆境でなお、くじけずに戦うには、煉獄が炭治郎に説く「心を燃やせ」のように、強い精神力が不可欠なのだ。


 その上で、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』では、夢の世界を抜け出そうとする炭治郎たちの姿が描かれる。肉体的な試練ではなく、精神的な試練が立ちはだかるのが本作の特徴で、炭治郎は夢の中で死んでしまった家族たちと再会する。その世界には鬼はおらず、炭治郎が望めばいつまでも平穏な生活が保障されている。そもそも炭治郎は元から鬼殺隊を目指していたのではなく、すべては家族を殺害されたことに端を発している。いわば、戦う理由を喪失してしまうのだ。


 「If」の世界を描くという意味で、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』は『鬼滅の刃』の原点に立ち返るストーリー展開ともいえるだろう。時系列的にはTVアニメの“続き”を描いてはいるのだが、いくつかオリジナルパートも足しながら、より「心」の描写を強調している。


 自分の“望み”が叶ってしまった炭治郎は、術に堕ちかけるが、禰豆子の呼びかけによって、自我を取り戻していく。「家族は死んでしまった」と認め、「生き残った禰豆子を守らなければならない」と自らを奮い立たせた炭治郎は、「ここにいたい。振り返って戻りたい」と涙を流しながらも、家族に背を向け、現実に帰ろうともがく。



PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. 劇場版「鬼滅の刃」無限列車編
  4. 『鬼滅の刃』に宿る名作漫画への敬愛と「人の弱さ、心の強さ」の美学『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』