2020.10.17
“憧れ”を描く『ONE PIECE』、“共感”を描く『鬼滅の刃』
このような「心で乗り越えていく」は、先に述べた「悲劇性」と密接に結びつき、『鬼滅の刃』の両翼を担っている。この描写は、本作独特のセリフの構造でさらに強化されており、『鬼滅の刃』は「モノローグ」と「繰り返し」の頻度が非常に高い。鬼たちの死に際に駆け巡る思考も、炭治郎が戦闘中にうろたえ、考え、勝ち筋を探るプロセスも、ほとんどがモノローグで処理されている。主人公にモノローグをほぼ使わない『ONE PIECE』とは、対極にある構造だ。
ただ、『ONE PIECE』も『鬼滅の刃』も、アプローチさえ違えど「声に出す」ことの重要性を追求しているという点では、ベクトルは同じ。『ONE PIECE』は、皆が憧れるような「カッコよさ」を追求するため、主人公にあえてモノローグを入れない。
『鬼滅の刃』は、皆が寄り添うような「共感性」をもたらすため、主人公にモノローグの比重を増やしている。本作ではモノローグを「取り繕えないもの」として提示しており、時として炭治郎が「勝てるのか? 俺は…… その怪我が痛くて痛くて堪らないんだよ‼」「すごい痛いのを我慢してた‼ 俺は長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった」「怪我のせいで悪い想像ばかりしてしまう」と弱音を吐くことも。とにかく正直者でまっすぐな炭治郎の性格を示すものでもあり、死の恐怖を明確に描いてもおり、読者・視聴者に親近感をもたらす効果も担っている。
『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』(c)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable
しかし、だからこそ、炭治郎が言葉を発するときは、そこにプラスの意味が含まれることが強い(ここは、『ONE PIECE』と同じだ)。「戦え、戦え! 戦えーッ‼」のように、同じフレーズを繰り返す表現が多いのも、恐怖に打ち勝つために鼓舞する用途の表れであるといえるし、「俺と禰豆子の絆は誰にも引き裂けない‼」「俺はお前を絶対に許さない‼」などの強いダイアローグは、一種の決意表明といえる。
『ONE PIECE』であれば、主人公のルフィや仲間のゾロ、サンジは滅多に弱音を吐かない。その勇猛な姿が観る者に羨望を抱かせるのだが、『鬼滅の刃』の炭治郎においては、野望のために剣士になったのではない部分も影響してか、戦闘中に“迷い”が示される。いわば、戦いの中で「恐怖と、その克服」が常に描かれるのだ。ここもまた、『鬼滅の刃』の大きな特徴といえるだろう。
迷い、苦しみ、絶望しながら、それでも鬼がいなくなることを願って、刀をふるい続ける炭治郎。鬼を根絶したいという私怨ではなく、鬼という“システム”自体を終わらせたい、と考える彼の思考もまた、『鬼滅の刃』らしい優しさや慈しみの表れといえる。
長大になってしまったが、これらの要素を踏まえたうえで、『鬼滅の刃』はアニメ版でさらなる進化を遂げた。最後に、映像面での本作の面白さを紹介し、本稿を締めたい。