『戦場のメリークリスマス』(4K修復版)『愛のコリーダ』(修復版)の大規模上映を実現 大島渚プロダクション・大島新監督インタビュー【CINEMORE ACADEMY Vol.16】
暗い少年時代を作った『愛のコリーダ』
Q:私は1975年生まれなので、76年の『愛のコリーダ』については記憶がありませんが、83年の『戦場のメリークリスマス』は、世間がすごく盛り上がっていた熱気を子供心にも覚えています。私の世代にとっては、大島渚監督といえば『戦メリ』でした。新さんは1969年生まれですが、2作はどういう位置づけなんでしょうか。
大島:私の暗い少年時代を作ったのが『愛のコリーダ』、という思いがありますね(笑)。『愛のコリーダ』は私が小学校1年生の時に公開されたんですが、同時期に出版されたシナリオを採録した「愛のコリーダ」(三一書房)という本が、わいせつ物頒布罪の疑いがあるとして家宅捜索をされ、裁判になったんです(※その後、無罪判決)。それで「エロ監督の息子」とレッテルをはられてしまいました。
その後父は、カンヌ国際映画祭で監督賞を獲った『愛の亡霊』(78)を監督しましたが、これも『愛のコリーダ』と同じくポルノで、「18禁」と呼ばれるものでした。
私が物心ついてから、父が立て続けに監督した映画が2本とも「18禁」だったので、なんかもう…こういう(頭を抱える)感じ(笑)。
『愛のコリーダ』(修復版)©大島渚プロダクション
父を嫌いになることはなかったんですが、「大島渚の息子である」ということは、本当に辛かったんですよね。私はおばあちゃん子だったんですが、当時は、おばあちゃんと兄と私の三人で小さくなって暮らしていたイメージです。
それで、その後に登場したのが『戦メリ』で、中学2年生で初めて父の映画を劇場で見ました。内容はよくわからなかったんですが、坂本龍一さんとデヴィッド・ボウイのキスシーンや、男同士の危うい関係性が描かれていて。「男女のエロの次は男同士の愛か…」とがっかりして(笑)。今はもちろんそんなことはないですけど、当時は思春期でもあったので…。
大ヒットしたので、見ている友達もいましたが、話題にされたくなかったです。だから作品の内容にしっかり向き合うようになったのは、だいぶ後になってからでした。