1. CINEMORE(シネモア)
  2. CINEMORE ACADEMY
  3. 『戦場のメリークリスマス』(4K修復版)『愛のコリーダ』(修復版)の大規模上映を実現 大島渚プロダクション・大島新監督インタビュー【CINEMORE ACADEMY Vol.16】
『戦場のメリークリスマス』(4K修復版)『愛のコリーダ』(修復版)の大規模上映を実現 大島渚プロダクション・大島新監督インタビュー【CINEMORE ACADEMY Vol.16】

『戦場のメリークリスマス』(4K修復版)『愛のコリーダ』(修復版)の大規模上映を実現 大島渚プロダクション・大島新監督インタビュー【CINEMORE ACADEMY Vol.16】

PAGES


ピンク映画の巨匠 若松孝二との友情



Q:大島渚監督は、社会に与えるインパクトや、製作のスタイルなどを含めた表現が「映画」である、と考えていたように思えます。『愛のコリーダ』はその最たるものではないでしょうか。


大島:本当にそうだと思います。大島渚は、1960年に松竹を退社し、その後俳優、脚本家などの盟友たちと創造社という会社を立ち上げました。60年代は多い時に年2本以上の映画を作りましたが、おそらく40歳前に、ある種の行き詰まりを感じたと思うんです。


『儀式』が71年で、次が『夏の妹』(72)。この時、父は40歳でした。『絞死刑』(68)から海外で評価されるようになっていたので、それまでとは違うステージでの映画作りを考えたんだろうと。そんな時に出会ったのがフランスの大プロデューサー、アナトール・ドーマンでした。彼と作ったのが『愛のコリーダ』。そこから海外の映画人と作品を作っていくという形に移行していきましたね。


Q:『愛のコリーダ』では、当時ピンク映画で気を吐いていた若松孝二さんをプロデューサーに迎え、若松さんの下にいた崔洋一さんにチーフ助監督を依頼しています。そうしたスタッフの配置も含めた映画作りを、重視されていたのではないでしょうか。


大島:多分そうだと思いますね。『愛のコリーダ』以前にも、性をテーマにした映画は撮っていましたが、いわゆる「ポルノ」ではなかった。だから若松さんと組みたかったんでしょうね。


若松さんとは、新宿の飲み屋とか、バーでよく会っていたそうです。若松組と大島組は、それぞれのスタッフは時々ケンカするんだけど、大将の二人は喧嘩しない。そんな感じだったらしいです。若松さんも、年上の父をすごく立てて尊敬して下さっていたし、父も「若ちゃん、若ちゃん」と呼んで、とても好きだったみたいです。


Q:2012年10月に若松さん、2013年1月に大島さんと、お二人はわずか3ヶ月の間に亡くなられています。


大島:そうなんですよ。うちの母(小山明子)は父の葬儀の時に、「今頃、天国で若ちゃんと一緒に飲んでいると思います」ってあいさつで言ってましたね。



『愛のコリーダ』(修復版)©大島渚プロダクション



大島作品のビジュアルを支えた戸田重昌



Q:美術監督の戸田重昌さんがデザインしたセットも見所ですね。


大島:すごいですよね、あの赤のイメージ。本当に戸田さんのセンス、才能が爆発していると思います。戸田さんは、父にとって本当に特別な人でした。いわゆる普通の映画監督と美術監督という関係以上の存在だったと思います。戸田さんへの信頼、尊敬の仕方というのは、すごいものがありました。


坂本龍一さんが、「世界中の映画監督はほぼ例外なく絵描きであるけれども、大島渚は絵が描けない。だからこそ目立ったんだ」という意味のことをおっしゃっていて、なるほどと。


父に美的センスがなかったとは思いませんが、作品の思想は、しっかり伝えた上で、それを具現化するのは、戸田さんに任せていた。そういうパートナーシップだったんじゃないかという気がします。



PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. CINEMORE ACADEMY
  3. 『戦場のメリークリスマス』(4K修復版)『愛のコリーダ』(修復版)の大規模上映を実現 大島渚プロダクション・大島新監督インタビュー【CINEMORE ACADEMY Vol.16】