新鋭、塚田万理奈監督が手がける映画『刻』。この映画が観られるは10年後の2030年。10年かけて映画を撮る壮大なプロジェクトだ。しかも制作には16ミリフィルムでの撮影を採用、その手法にもこだわりが見られる。
デジタルカメラでの撮影が全盛の今、国内でフィルム撮影する映画は圧倒的に少ない。その理由は様々だが、大きくはコスト削減によるものだ。ハードディスクにいくらでも収録できるデジタルと違い、フィルムはまずフィルムそのものを購入する必要があり、撮影すればするほどフィルム代がかさんでいく。加えて、そのフィルムを現像する予算も必要だ。また、暗いところでも明るくクリアに撮れるデジタルカメラと比べて、フィルムの場合はそこまで感度が高くないため、必然的に照明機材の量も多くなってしまう。
もしこのままフィルムの需要が減少していけば、国内からはフィルムの流通・現像が消滅してしまってもおかしくないような状況。そんな中、10年かかる撮影に、何故あえて16ミリフィルムでの撮影を選択したのか? リスクを負ってまでも採用したフィルム撮影の魅力とは何か?
今回のCINEMORE ACADEMYでは、映画『刻』のメインスタッフと、フィルムの現像を担当するポストプロダクションの担当者、フィルムを製造・販売するメーカーの担当者の方々にお集まりいただき、映画『刻』とフィルム撮影について話を伺った。
参加者(敬称略)
■映画『刻』スタッフ:
監督:塚田万理奈
撮影監督:芳賀俊
プロデューサー:今井太郎
■フィルム現像所:
株式会社IMAGICAエンタテインメントメディアサービス:井上大助
■フィルム製造・販売:
コダックジャパン:山本泰貴
Index
- 10年間の撮影でも統一できる“トーン”
- デジタルだから安いわけではない
- フィルム撮影がもたらす良い緊張感
- 主観映像に向かないフィルム撮影
- 増えてきた16ミリフィルム撮影
- デジタル撮影のメリット
- 『刻』がもたらすフィルム撮影の将来
10年間の撮影でも統一できる“トーン”
Q:映画『刻』が、16ミリフィルム撮影である理由は何だったのでしょうか?
塚田(監督):『刻』では、子どもたちが大人になるまでの10年間を、実際に10年かけて撮影をしようと思っています。一つの役を子どもと大人で分けて演じるのではなく、そこは本物にこだわって、同一人物に同じ役を演じてもらおうとしているんです。
同じように、本物にこだわった撮影方法は何か考えたときに、電気信号で記録するデジタルと違い、生ものであるフィルムが生ものの光を受けて、生ものの状態で画を残すといったフィルムの概念は、本物という考えとマッチしているなと思いました。
また、デジタルはこれから先もどんどん進化していくと思いますが、フィルムは今も10年後も同じフォーマットであり続けるだろうということも、安心材料の一つとしてあります。
(c)映画「刻-TOKI-」実行委員会
芳賀(撮影監督):最近のデジタルカメラで撮ったものは、35ミリフィルムで撮ったものと区別がつかないぐらい綺麗な映像になってきていて、多分観客の皆さんが映画をご覧になっても、どちらで撮ったか分からないと思います。それくらいとことん綺麗になっている印象がありました。一方で、16ミリフィルムはとても粒子が粗くてデジタル感がなく、見た瞬間にフィルムというものを感じることが出来る媒体です。
今回の『刻』の脚本を読んだとき、監督の塚田さんが、今まで見てきたことや感じてきたことといった、そういった記憶に触れているような感覚が強くありました。16ミリフィルムは、化学反応で撮影する生ものということもあり、人の記憶自体を抽出しているような、そういう印象を与えるものだとも思うので、脚本を読んだ段階で、フィルムで撮るのが良いと思いましたね。
また技術的には、デジタルは今後10年間で進化しすぎてしまうのではないかという懸念がありました。マイケル・ウィンターボトム監督の『いとしきエブリデイ』(12)という映画では、5年間かけてデジタルで撮影しているのですが、映画の前半と後半で画面の雰囲気がガラッと変わってしまっているんです。デジタルが急激に進化したせいで、作風まで変わってしまっていました。
『6才のボクが、大人になるまで。』予告
一方で、リチャード・リンクレイター監督の『6才のボクが、大人になるまで。』(14)では、10年間かけてずっと35ミリフィルムで撮影しているんです。監督曰く、その10年間で業界のフィルム需要が減少し、現像所も無くなっていく中で、フィルム撮影を継続することはすごく大変だったらしいのですが、35ミリフィルムで全部同じトーンで撮れたことはすごく良かったとのこと。
そんなこともあり、16ミリフィルムで撮れば、最初から最後まで映画のトーンを統一できると思ったんです。