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『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』マーベル最大の転換点を「政治・映画・MCU」で再解読する

(c)Photofest / Getty Images

『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』マーベル最大の転換点を「政治・映画・MCU」で再解読する

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3人の「ウィンター・ソルジャー」



 かくも政治的なモチーフを盛り込みながら、ダイナミックなサスペンス・アクションを展開する『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』では、「キャプテン・アメリカはインサイト計画を阻止できるか?」という問題とともに、「スティーブ・ロジャースはバッキー・バーンズを取り戻せるか?」という問題が並走することになる。クライマックスにおいて、スティーブはヘリキャリアの攻撃を止めるという極限の任務に挑みながら、同時に暗殺者ウィンター・ソルジャーの中に眠る親友バッキー・バーンズを呼び覚まそうと働きかけるのだ。これこそがルッソ兄弟の狙いで、二人は「映画の成否はスティーブとバッキーのラストにかかっている」とまで言っている。


 ところで、死んだはずのバッキー・バーンズが、暗殺者として洗脳されたまま生きていたというプロットは、ライターのエド・ブルベイカーが2005年にコミックで執筆したもの。「ウィンター・ソルジャー」という名前もエドが考案した。


 ウィンター・ソルジャーという言葉には二つの意味があり、やはり本作の政治性に深く結びついている。ひとつはベトナム戦争末期の1971年、戦地からの帰還兵たちが米軍による戦争犯罪の事実を告発した「ウィンター・ソルジャー集会」だ。自分が信じた〈正義〉のために戦っていたはずが、それは単なる暴力と殺戮にすぎず、人々を苦しめていただけだったのかもしれない……。〈正義〉の揺らぎをテーマのひとつとする本作に、「ウィンター・ソルジャー」というタイトルが付けられたことは必然だろう。



『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(c)Photofest / Getty Images


 また、もうひとつの意味は「ウィンター・ソルジャー集会」の語源にある。1776年、哲学者トマス・ペインは著作「アメリカの危機」にこう記したのだ。


 「今こそ、男たちの魂が試されている。夏の兵士や日和見主義の愛国者たちは、この危機において祖国への奉仕をためらうことだろう。しかし、今この時に立ち上がる者こそが、人々から愛と感謝を受け取るにふさわしい。」


 国家の危機に逃げ出す者が「夏の兵士」ならば、危機の中で立ち上がる者こそが「冬の兵士」、すなわちウィンター・ソルジャーなのである。この名前をバッキーに与えたエドは、そもそもバッキーがロシアで蘇り、ロシアの暗殺者として現れる設定だったことから、「ウィンター・ソルジャー」という言葉がロシアの寒さや東西冷戦を想起させること、ベトナム戦争のみならずアメリカ独立戦争以来の戦争犯罪に結びつけられること、そしてトマス・ペインの言葉にも繋がることが命名の決め手になったと明かしている。


 一方で本作を手がけたルッソ兄弟は、“トマス・ペインの言葉に回帰したかった”という意志を強調した。すなわちウィンター・ソルジャー/バッキー・バーンズだけでなく、アメリカの危機に信念をもって立ち上がったスティーブ・ロジャースもまたウィンター・ソルジャーなのであり、映画のタイトルはスティーブとバッキーの両方を指しているのである。


 そして、この点で言えば、スティーブと共闘する道を選んだファルコン/サム・ウィルソンも同じくウィンター・ソルジャーだろう。帰還兵であるサムは、トラウマを抱えた元兵士のケアにも勤しんでいる。実はサムこそが、「ウィンター・ソルジャー」という言葉がはらむ両方の意味をポジティブな形で体現しているのだ。このことは、のちに『アベンジャーズ/エンドゲーム』に待ち受けているスティーブ・ロジャースとサム・ウィルソンの展開においても、結果として重要な意味を持っていたように思えてならない。




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