© 2025 20th Century Studios. All Rights Reserved.
『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』技術革新を牽引したキャメロンが描く“家族の物語”(後編)
2025.12.24
立体視の自然さ
マーティン・スコセッシ監督の3D映画『ヒューゴの不思議な発明』(11)では、被写体と背景の間の空間を、常にスモ-クや湯気、雪、浮遊するホコリなどが埋めている。そしてこれ以降、同様の手法を用いる作品が続出し、3D映画の定番テクニックになった。
https://cinemore.jp/jp/erudition/510/article_511_p4.html#a511_p4_1
https://cinemore.jp/jp/erudition/2775/article_2777_p1.html
これは、「奥行きの情報が不足した3D映像が“平面の板を重ねたように”見えてしまう」、“書き割り効果”の発生を防ぐための処置だ。『ヒューゴ』のスタイルは、2Dだけで見ていると単にホコリっぽいだけなのだが、3Dで鑑賞すると美しいライトビームや、空間の体積表現など、劇的な効果が生まれる。だが言ってみれば“力技”である。
しかし今回、筆者が驚いたのは『FaA』の空気がやけに澄んでいることだ。もちろん水中の描写では、小動物の群れや、マリンスノーのような粒子、泡、ライトビームなどが見られるし、アッシュ族の村には煙が漂い、火の粉が舞う。しかし映画全体として見た場合、『ヒューゴ』のような、わざとらしい浮遊物は感じられない。にもかかわらず、『FaA』には書き割り効果が一切見られない、完璧な立体感になっている。
あくまでも筆者の推測なのだが、書き割り効果が生じないのは、空気中の微細な散乱光が常に空間を満たしており、Manukaがその光学的厚みをスペクトル単位で再現しているためではないだろうか。つまり、空気の密度を感じさせる繊細なグラデーションが、空間を常に埋めることで、観る人が「厚みのないレイヤーではない」と認識すると考えられる。つまり『ヒューゴ』スタイルが“粒子で空間を埋める”ことで立体感を作ったのに対し、『FaA』は“光学的な空気の厚み”で立体感を成立させたと解釈できる。

『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』© 2025 20th Century Studios. All Rights Reserved.
実写の3D表現
立体感が完璧なのは、RDA側の実写シーンでも同様だ。こちらでも書き割り効果は生じていないし、観ていて頭痛がするような無理な視差や、逆に立体感の不足も感じられない。実際に自分がその空間にいるような、極めてナチュラルな立体感になっている。
ここで驚くのは、カメラが自由に動き回り、注目すべき人物に寄っていく。さらに会話のシーンでは、話している人物にピントが送られる。通常の2D映像では当たり前のことだが、3D映像では困難だった。なぜなら従来の3D映像では、撮影前に被写体までの距離を測り、コンバージェンス(画面の奥行きの基準面を決める、左右のカメラの光軸が交差する角度:寄り目具合)や、インターアクシャル(左右のカメラのレンズ間距離)を厳密に調整する。だから、カメラや被写体が大きく動いたりすれば、これを撮影中に修正しなければならない。
https://www.fdtimes.com/pdfs/articles/3D/FDTimes_3D.pdf
キャメロンは、自ら開発した“フュージョン・カメラ・システム”(2台のカメラをハーフミラーで一体化するビームスプリッター方式のリグ)を用いることで、被写体までの距離に応じてコンバージェンスをサーボモーターで自動制御できるようにした(他社のリグでは、カメラの動きやフォーカス位置に合わせて、2人がかりで手動調整する必要があった)。その結果、従来の3D撮影では難しかった“手持ちで自由に動き回る撮影”が可能となり、キャメロンは“3D映画の撮影を、2D映画と同じ自由度に引き上げた”という点で画期的だった。
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