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『戦場のメリークリスマス』大島渚×デヴィッド・ボウイ×ビートたけし×坂本龍一 異色の戦争映画が実現するまでの軌跡 後編

©大島渚プロダクション

『戦場のメリークリスマス』大島渚×デヴィッド・ボウイ×ビートたけし×坂本龍一 異色の戦争映画が実現するまでの軌跡 後編

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『戦メリ』カンヌ狂想曲



 ここで時間を1983年5月のカンヌ映画祭にもどすと、大島を筆頭に大挙してカンヌに乗り込んだ『戦メリ』一行だが、出発する成田空港で、思わぬ偶然が起きた。同じくカンヌに出品する今村昌平監督の『楢山節考』(83)の一行が鉢合わせしたのだ。大島と今村は同じ松竹大船撮影所出身で、大島が入社して最初に助監督として付いた作品でチーフ助監督と揉めた際、セカンド助監督の今村が仲裁に入り、新宿の屋台に大島を連れ出して慰めたこともある。そんな関係を持つ2人の作品がカンヌで対決することになったわけだが、今村は最初からカンヌに興味を示さず、不参加を決めていた。『戦メリ』が騒ぎすぎていたことから、今村は後輩の大島が受賞する姿をわざわざ見に行く必要はないと思っていた。


 結局、『楢山節考』は東映のプロデューサー日下部五朗と、主演の坂本スミ子だけが参加することになったが、『戦メリ』と違ってカンヌで大々的な広報活動をする予算はなく、同じ便の飛行機に乗っても、あちらはファーストクラスだが、『楢山節考』はエコノミーと格差は明らかだった。なお、日下部は4年前に東映の大作『日本の黒幕』の監督を大島に依頼したもののクランクイン直前に大島が降板する憂き目にあったことがあるが、まさかこうしためぐり合わせがやって来るとは思いもしなかっただろう。それを言えば、『楢山節考』に主演する緒形拳もまた、予定通り進んでいれば、『戦メリ』でハラ軍曹を演じていたはずだった。大島との仕事に大きな期待をこめていたにもかかわらず、様々な事情で実現しなかった2人が組んだ作品が、『戦メリ』とコンペティションを争うことになろうとは、因縁浅からぬものがある。


 現地でも『戦メリ』の大宣伝キャンペーンは凄まじく、タイトルを冠した飛行船が空を舞い、大々的なレセプションパーティーが開かれ、山本寛斎デザインのTシャツを着た大島たちが練り歩く姿は壮観そのもので、下馬評からも受賞は確実視されていた。日本公開が5月28日に設定されていたのは、19日の受賞発表でパルム・ドールを獲り、話題沸騰の最中に公開しようという算段だった。ところがパルム・ドールに選ばれたのは『楢山節考』だった。日下部は、受賞直後の様子をこう記している。


 「大島監督の勝利宣言を撮ろうと『戦メリ』組がいるカールトン・ホテルで待機していたマスコミ関係者が雪崩を打って、わたしのいる小ホテルにやって来た。事ここに至って、今村監督も岡田(茂)社長も来なかったことが幸いした。今日この場ではわたしが大将なのだ!」(「シネマの極道 映画プロデューサー一代」)


 帰国して成田に到着した大島は、「米ユニバーサルをはじめ、世界四十か国に売れ、カンヌでは拍手で迎えられ満足しています。『戦場の―』は進みすぎていて、カンヌを超えてしまったようだ。評判は驚きの声が多かった。『楢山節考』は見ていないけれど、欧米での日本のイメージとしては、あのぐらいがちょうどよかったんでしょう。今村監督には心からおめでとうを言いたい」(「報知新聞」83年5月22日)と語ったが、それよりも大島を驚かせたのは、空港ですれ違った顔見知りのテレビ局スタッフが、「すいません、いま坂本さんの大麻事件の取材がありまして」と告げたことだった。それを聞いて、大島は真っ青になったという。公開まであと1週間に迫る中で、カンヌで無冠に終わった上に主演俳優の不祥事となれば、興行への影響は避けられない。ところが、よく聞けば、〈坂本さん〉とは、坂本龍一ではなく、『楢山節考』の坂本スミ子のことだった。空港で会見した彼女は、「三月中旬にハワイで見知らぬ男から渡され、そのまま持ち帰ってしまった」(前掲)と大麻所持を認めたが使用は否定し、マスコミはカンヌの栄光に泥を塗ったと書き立てた。


 1983年5月28日、東京ではパンテオン、松竹セントラル、ミラノ座といった大劇場をメイン館に『戦メリ』は封切られた。若い観客層が中心となったことから、当初はデヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけしのファンが動いたのかと思われたが、それだけでは収まらない広がりを見せ、十代の女性から数百通の感想が大島のもとに届いた。興行収入は9億9千万円。大島映画最大のヒットと、最大の広がりを見せた作品となった。


 輝かしい『戦メリ』の成功によって、大島の次回作の検討も始まっていた。この時期、一部で情報が出ていたのがアルベルト・モラヴィア原作の「仮装舞踏会」と、唐十郎原作の「佐川君からの手紙」だった。後者は日本人留学生によるオランダ人女性の食肉事件を描いたもので、1983年には脚本を寺山修司に依頼するという奇想を大島は立てた。当時、テレビ朝日の「こんにちは2時」で共演していた大島と寺山だが、本番1分前に、大島は隣の席に座る寺山に『佐川君からの手紙』のシナリオを書いてくれと話した。「現代詩手帖」(83年6月号)に大島が記したところによると、「唐がイヤがるんじゃないか」「とんでもない。大喜びだった」「そうか、じゃ、喜んで」という会話が交わされたという。その後、潰瘍で入院していた大島を見舞った寺山は、大島がカンヌへ行く前に一度『佐川君からの手紙』の脚本について話し合いたいと告げたが、それが実現することはなかった。それから半月あまりが過ぎた5月4日、寺山は47歳の若さで世を去った。


 寺山のパートナーだった九條今日子にインタビューした際、『佐川君からの手紙』を寺山がどの程度構想していたのか尋ねると、次のような証言を得た。


「書く寸前だったんだけどね。食べられちゃう主役の女性を誰にするか、唐十郎の案があったり、色々案があったんだけど、“それはないだろう”っていうような女優さんを唐は推薦してきたわけ。みんなも寺山も“う~ん?”という感じになって。でも、寺山はなんでも面白がる人だから、元気でいれば絶対にやっていたと思うんですよ」(「映画秘宝」2013年6月号)


 結果として、『佐川君からの手紙』を大島が撮ることはなかった。当時の心情を大島は次のように語っている。


「寺山がポックリ死んじゃったからね。今は喪に服してる。心境的に次においそれと他のライターをもってくる気になれないんだな。そうすると、唐さんが書くか、俺が書くかということになるんだけど、最初三人でやろうと思った気持の弾みからいうと、ちょっと弾まないんだね。結局、映画というのは、その気持の弾みというのが大事だからね」(「シナリオ」(83年10月号)


 その後も、大友克洋原作の「童夢」など、80年代の大島映画に相応しい派手な企画が噂されたが、いずれも実現することはなかった。


 5年にわたって資金調達からキャスティング交渉に至るまで、大島が主体となって動き続けることで実現させた『戦メリ』は、カンヌでの受賞こそ逃したものの作品の完成度、観客からの反応は申し分なく、その労力が報われるものではあったが、1本の映画を何もないところから生み出す――それも複数の国にまたがる合作となると、果てしない調整が必要となり、様々なトラブルも発生し、映画が公開された後も延々と続くことになった。


 80年代の大島映画は、本作と単身でフランスへ渡って撮った『マックス、モン・アムール』(86)の2本しかないが、『戦メリ』が実現するまでの一端を見ると、それも当然だったのかもしれない。映画数本分にかけるエネルギーを注ぎ込むことで、ようやく形になったことを思えば、そう次々と映画を撮り続けることなど出来はしない。様々な問題を抱えながら完成した『戦メリ』は、大島渚、デヴィッド・ボウイ、撮影監督・成島東一郎、美術監督・戸田重昌が亡き今も、鮮やかに輝き続ける長い生命を持つ映画となった。光の部分も影の一面も、様々な示唆を観客に与え続けてくれる。



※前編はこちらから

※中編はこちらから



【主要参考文献】

『「抱擁の大地」企画書』『「影の獄にて」脚本』『「戦場のメリークリスマス」脚本』『イメージフォーラム』『キネマ旬報』『シナリオ』『GOUT』『国文学』『文芸』『噂の眞相』『朝日ジャーナル』『週刊明星』『週刊平凡』『週刊現代』『週刊読売』『週刊文春』『週刊宝石』『サンデー毎日』『エコノミスト』『朝日新聞』『毎日新聞』『読売新聞』『報知新聞』『日刊スポーツ』『スポーツニッポン』『デイリースポーツ』『シネマファイル 戦場のメリークリスマス』(講談社)、『映画プロデューサーが語る ヒットの哲学』(原正人、構成 本間寛子・著、日経BP)、『「戦場のメリークリスマス」30年目の真実』(東京ニュース通信社)、『戦場のメリークリスマス』(紀伊國屋書店)、『答える!』(大島渚・著、ダゲレオ出版)、『大島渚1960』(大島渚・著、青土社)、『大島渚1968』(大島渚・著、青土社)、『戦後50年 映画100年』(大島渚・著、風媒社)、『わが封殺せしリリシズム』(大島渚・著、清流出版)、『世界が注目する 日本映画の変容』(丸山一昭・著、草思社)、『昭和の映画少年』(内藤誠・著、秀英書房)、『任侠映画伝』(俊藤浩滋 山根貞男・著、講談社)、『活動屋人生こぼれ噺』(幸田清・著、銀河出版)、『シネマの極道 映画プロデューサー一代』(日下部五朗・著、新潮文庫)、『撮る カンヌからヤミ市へ』(今村昌平・著、工作舎)、『映画愛―武藤起一インタヴュー集〈1 俳優編〉』(武藤起一・著、大栄出版) http://norisugi.com/documentary/senmeri_hiwa.html  ほか



文:モルモット吉田

1978年生。映画評論家。別名義に吉田伊知郎。『映画秘宝』『キネマ旬報』『映画芸術』『シナリオ』等に執筆。著書に『映画評論・入門!』(洋泉社)、共著に『映画監督、北野武。』(フィルムアート社)ほか



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