2022.01.03
映画と労働
『戦メリ』のカンヌ出品が決定するのと時を同じくして、「デイリースポーツ」(83年2月1日)に奇妙な記事が掲載された。それはラロトンガ島で失踪したKが、現地の女性を妻にして同地で暮らしているというのだ。大島が帰国時に冗談めかして語った「島でいい女を見つけてうまくやっているんじゃないか」を裏付けるような記事だが、Kの妻が弁護士を通して抗議したところ、執筆した記者は謝罪に来たという。後に記者が語るところでは、「裏もとらずに書いたことは私の完全なミス」(「噂の眞相」83年11月号)と、虚報であることを認めている。
しかし、この件が再び話題になったことで、テレビ局が大島・成島と、Kの妻を直接対決させる企画を立てた。1983年2月14日の新聞ラテ欄には、午前8時35分から放送される「ルックルックこんにちは」(日本テレビ系)の内容紹介に「独占!心痛の妻は訴える“大島渚さん!私の夫を返して!!”」とある。放送内容を確認することは出来なかったが、当時の記事によると、「大島監督と○○さん(妻の名)の対決は、テレビ慣れの差がはっきり出て、○○さんの沈黙ばかりが目立ち、実りのあるやりとりはなかった」(「週刊平凡」84年3月30日号)という。出演予定だった成島は直前にキャンセルを伝えてきて、「Kを信頼している」という伝言を番組に寄せた。しかし、Kが行方不明になったことを4日にわたって知らされていなかった大島だけが出演したところで、具体的な話にならないことは容易に想像がつく。それに知らされた直後に現地警察へ通報を指示しているのだから、義務は果たしたことになる。そうなると、帰国の際の大島の軽率な発言への批判に、「あれは冗談だった」と返答する程度に留まり、〈実りのあるやりとり〉は望むべくもない。
Kの妻はテレビ出演の後、2月20日に再びラロトンガ島へ渡って自費で捜索を行い、3月12日に帰国したが、やはり痕跡はつかめなかった。Google Earthでラロトンガ島を見てもらえばわかるが、沿岸部に町や人家があるだけで島の大部分はジャングルに覆われており、ストリートビューで見ることが出来るロケ地やホテル近辺の道の傍には腰ほどもある草木が生い茂っている。この風景は38年前も大きく変わりはなかっただろう。現在でもハイキングコース程度の小山で行方不明者が出て、数日の捜索を経て見落としていた場所から発見されることがあるが、Kの失踪が自発的なのか、事故なのか、それ以外の理由なのかは定かではないにしても、何かの拍子に道を外れたところの草むらに倒れていたとしても、発見できないのではないかと思ってしまう。それだけに初動の遅れが悔やまれてならない。
この問題は、『戦メリ』公開後も数年にわたって大島にのしかかってくることになった。後にKの妻は、プロダクションと大島に対して「スタッフに対する安全保護義務を怠っており、映画撮影さえ順調に行けば、人の命がどうなってもいい、という考えは納得できない」(「読売新聞」83年11月22日)と、1,130万円の損害賠償を求める訴えを起こした。これに対して大島は「スタッフも現地警察と協力して山狩りまでしたが、結局、見つけることができなかった。警察の結論も、犯罪でも事故でもなく、個人的な事情による失踪の可能性が強いということだった。○○さん(Kの妻)には同情するが、四十五歳(当時)の成人が仕事を前に姿を消したということに、プロダクション側は迷惑こそすれ、責任を問われることはないと考える」(前掲)と反論した。
裁判は以降数年にわたって、雇用契約が大島プロダクションとあるのか、ニュージーランドの現地法人とあるのかといった契約解釈の話になっていったが、こうした事態を想定していない不慣れな合作映画ということがあったとはいえ、ここには現在にまで通じる〈映画と労働〉という問題も浮かび上がってくる。過度な労働が課せられていなかったか、精神状態のケアは出来ていたか、スタッフの体調や安全管理体制はどうだったか――といった問題が検証されたのかは不明だが、当時はまだ仕事中は24時間滅私奉公すべきといった考えが根源にあった時代だけに、家族同伴で現場に来ていた外国人キャスト、スタッフからのKの妻への同情に比べると、日本人側の反応は、まるで仕事を全うせずに姿をくらましたと咎めるような態度が透けて見えると思うのは筆者だけだろうか。「島でいい女を見つけてうまくやっているんじゃないか」「プロダクション側は迷惑」といった発言も、生死不明のスタッフに対する言葉としては軽すぎるのではないか。
当時も今も、新聞、週刊誌、テレビで大きく報じられたこの問題に対して、関係者は何も語っていない。唯一、ロレンス役のトム・コンティは、2014年にWOWOWが製作した『戦メリ』ドキュメンタリー番組の取材に応じ、後に書籍化された際にまとめられたインタビューの最後でこう語っている。
「もうひとつ別の意味で忘れることが出来ないことがありました。この作品に関わった誰もがそうだと疑いません。それはラロトンガ島でひとりのスタッフが撮影直前に行方不明になったことです。彼はいまでも見つかっていません。悲劇でした。私は彼の奥さんと家族への深い悲しみを覚えました」(「「戦場のメリークリスマス」30年目の真実」)