2022.01.03
『戦メリ』戦後秘話
撮影を終えた翌日、最後まで残っていたスタッフ、キャスト29人は帰国の途についた。13時間の後、日本時間10月8日午後7時に成田空港へ到着。16番ゲートから現れた大島渚を、報道陣約50名が待ち受けていた。労いの言葉をかけるためではない。その日の「報知新聞」は芸能欄に大きな見出しで、「照明係ナゾの失踪」と掲げ、ラロトンガ島でスタッフのKが行方不明になっていることを報じていた。それを受けて、帰国直後の大島に説明を求めたのだ。撮影監督の成島東一郎も同席し、空港内で行われた一問一答を、翌日に掲載された「報知新聞」から引用する(行方不明者の人名は仮名に変更)。
――けさの報道をご存知?
大島:少し聞いた。
――Kさんの失踪は事実か?
大島:事実です。撮影開始前日にいなくなったらしいが、成島さんから聞いたのは撮影二日目。
――何が原因か?
大島:全く分からない。ただ、そういった前科がある、と聞いた。地元の警察の協力を得て捜索したが…。奥さんが来たときには、現地スタッフが一生懸命慰めたり捜したりしてくれて、感激した。
――監督の考えでKさんは?
大島:最悪の場合も考えられるかも…。島でいい女を見つけてうまくやっているんじゃないか、という者もいるが(笑い)
――成島さんの考えは?
成島:皆さんに迷惑をかけて申し訳ない。かなり準備が遅れていて、資材の調達など、急ぐようにハッパをかけたのだが、彼の誠実な面が悪く出た。
――どういう意味か?
成島:(準備の遅れは)どうしようもなかった。一種の錯乱を起こしたのでは…(監督は即座に否定)。仕事がうまく運んだ裏にKがいた。(意味不明)
大島:成島さんは死んだと決めてかかっているが、私はそうは思わない。プロダクションとして出来るだけのことはしたし、あとはこちらがどうこうということはない。奥さんに聞いて下さい。
以上が、空港での報道陣とのやり取りだった。成島の言葉を額面通りに受け取れば、撮影前の準備が遅れ、生真面目なKは思い悩んだ末に撮影現場から姿を消したことになるが、この問題は時間を経て再燃することになる。
帰国後、直ちに編集作業が始まった。11月22日にはまだ音楽が入っていない段階のオールラッシュ試写が行われた。これは、関係者が見るためのものだが、映画を盛り上げる意味もあってか、大島と親しい部外者にも試写の案内があった。作家の小林信彦もその一人である。当日は大島も一緒に試写を観たという。小林は「トム・コンティとたけしが演じるラストシーンは、世界史上に残るものだと思う。たけしの入神の演技に、ぼくは不覚にも涙がこぼれた。大島さんも泣いていた」(「キネマ旬報」83年1月上旬号)と、最も早く観た観客として感想を記している。
『戦場のメリークリスマス』©大島渚プロダクション
坂本龍一の音楽が加わり、翌年早々にゼロ号試写が行われ、『戦メリ』は完成した。ここから先は、いかにこの映画を盛り上げて公開するかである。まず、5月に開催されるカンヌ映画祭への出品と最高賞であるパルム・ドール受賞を狙うことになる。『愛の亡霊』で監督賞を受賞した大島だけに、次はパルム・ドールを受賞するのに『戦メリ』ほど相応しい作品はない。もっとも、製作資本の関係上、日本からではなく、ニュージーランドからの出品作となるのだが、これが後に大きな番狂わせを生むことになった。