1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. 林檎とポラロイド
  4. 『林檎とポラロイド』ランティモスやカウフマンの後継者。’84年生の新鋭監督が示した、異常な日常の作り方
『林檎とポラロイド』ランティモスやカウフマンの後継者。’84年生の新鋭監督が示した、異常な日常の作り方

©2020 Boo Productions and Lava Films

『林檎とポラロイド』ランティモスやカウフマンの後継者。’84年生の新鋭監督が示した、異常な日常の作り方

PAGES


記録媒体がない世界を、言葉ではなく映像で納得させる



 先に述べた序盤の「設定の開示」、さらには『林檎とポラロイド』のあらすじにおいて、実はひとつ大きな“穴”がある。観客の脳裏に「ケータイやパソコンがあれば解決するのでは?」といった疑問が浮かぶ危険性があるのだ。本作の特徴は、「失った記憶は取り戻せない」ということ。そのため、記憶喪失者は一から自分を再構築する「“新しい自分”プログラム」に参加するというわけだ。


 となると、取り戻すアイテムになりうる携帯電話やパソコンといった記録媒体をこの世界から排除せねばならない。対処法はいくつかあるだろうが、例えば時代設定をパソコンが生まれる前にしたり、或いは「ない」世界にしたり……といったアプローチが考えられる。しかしそこで新たに生まれる問題は、先に述べた「日常感」をどう生み出すかだ。


 『林檎とポラロイド』の世界には、車もラジオもある。画面の中の人々は、観客である私たちと同じような世界・時代・社会に生きているように感じられる。しかしパソコンや携帯電話はない。この溝をどう埋めるのか……といった点は頭を悩ませるところだが、本作がとった手段は実に興味深い。「一切の説明をしない」のだ。



『林檎とポラロイド』©2020 Boo Productions and Lava Films


 つまり、やり方としては「携帯電話もパソコンもない」ものに近いのだが、物語を阻みそうなアイテムから目を背けるような逃げ腰の感覚ではなく、むしろ画面に映る世界全体で「日常」レベルにまで引き上げてしまっているのが面白い。具体的に言うと、画面に映る要素からデジタルをなくし、アナログだけでまとめているのだ。カメラがポラロイドなのは、その代表格。


 そのほか、記録媒体と言えそうなものはせいぜいオープンリールデッキやテープレコーダーくらい。それだけでなく、劇中に登場する家具や照明、画面の質感や衣装に至るまでアナログなムードが統一され、観客が「ケータイやパソコンがあれば解決するのでは?」と考える隙を作らない(アスペクト比は4:3を使用)。視覚情報として飛び込んでくるもの=世界観が完璧に構築されているがゆえに、すんなりと受け入れられてしまうのだ。


 言葉に頼らず、映像で納得させる。実に映画的な魅せ方ではないか。





PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. 林檎とポラロイド
  4. 『林檎とポラロイド』ランティモスやカウフマンの後継者。’84年生の新鋭監督が示した、異常な日常の作り方