アンドリュー・ニコルの先見性
アンドリュー・ニコルの作品群には、テクノロジーが人間の倫理を変質させていくテーマを扱ったものが多く、背景となる技術に対しても鋭い先見性が見られる。
例えば、「ゲノム情報による階級化社会」描いた『ガタカ』(97)は、遺伝子予測、胚選択、法医学的遺伝学など、現代の研究領域と直接繋がっている。その結果、遺伝学・バイオエシックスの議論で最も引用される作品の一つとなり、“ガタカ的”という言葉が、ゲノム差別を指す一般用語として使われるようになった*。
*参考:
https://academic.oup.com/genetics/article/222/4/iyac142/6758250
製作/脚本を担当した『トゥルーマン・ショー』(98)は、一般人の私生活を24時間監視・放送するという、リアリティ番組のブームを数年先取りしていた。そして、特筆すべき才能のない「普通の人」がメディアによってスターに祭り上げられる現象や、広告が生活に溶け込む演出など、現代のインフルエンサーによるマーケティングや、SNS社会に通じる要素をも予見している。その結果、実際に「自分の人生は仕組まれたテレビ番組ではないか」と信じ込む精神疾患が報告されるようになり、“トゥルーマン・ショー妄想(症候群)”と言う、心理学用語にもなった。
ディストピアSFの『TIME/タイム』(11)は、遺伝子レベルで老化研究が進み、25歳で成長を止めることで、不老不死を実現させてしまった世界を描いている。そこで人々は、自分の余命時間を通貨にしているのだが、一部の富裕層は永遠に近い時間を持って優雅に暮らしている。しかし政府は、人口爆発を避けるために物価を上昇させ、多くの貧困層から時間を吸い上げていた。そのため貧しい人々は、わずかな余命しか与えられずに亡くなっていく。これは、現実世界における「若返り」や「老化防止」の研究を反映させたもので、それが実現した際「その恩恵にあずかれるのは、億万長者だけなのか?」という問い*を、ニコルは先取りして提示した。
*参考:
https://greekreporter.com/2024/02/22/billionaires-anti-aging-live-longer/
同じくディストピアSFの『ANON アノン』(18)は、「見たもの全てを記録する眼球インプラントの装着が義務付けられた社会」が舞台だ。そこで高度なハッキングにより、他人の視覚情報や記憶を操る連続殺人事件が発生する。これは、スマホによるライフログ、監視カメラによる行動履歴の記録、警察のボディカメラ映像の証拠利用、企業による行動データの収集といった、監視社会の論理を極限まで押し広げた内容だ。実際に第2次トランプ政権は、移民関税捜査局(ICE)に対し、顔認証、SNSの位置情報、ナンバープレート自動認識、DNA、虹彩スキャン、電話盗聴、ソーシャルメディア分析、信用情報、公共料金データなどを使い、米国にいる全ての人間を監視するシステムを構築させた。もはや劇中の世界は現実に達しつつある。また犯罪者側が用いる、「記録された映像や、眼球インプラントによるリアルタイムの視覚を自由に編集」「消去された箇所に偽の映像を埋め込む」といった技術も、生成AIによって十分実現可能になった。