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『ミクロの決死圏』60年代『2001年宇宙の旅』以前、群を抜くクオリティの傑作SF (前編)
プロテウス号と特撮
プロテウス号のデザインは、リチャード・フライシャーの推薦で、『海底2万マイル』のノーチラス号を設計したハーパー・ゴフに依頼されている。
このデザインに合わせて、ヘネシーがスーパーバイズし、イワン・マルティンが率いる建設部門が実物大のプロテウス号のセットを造った。そのサイズは、全長12.8m、幅7m、高さ4.6m、重量3.6tで、建造費は10万ドルである。狭い船内の撮影に対応できるよう、船体は素早く分解できるように設計されていた。
また、ゲイル・ブラウンが代表を務めるミニチュアショップが、1.5m、90cm、30cmなど、様々なサイズのミニチュアを作っている。
特撮スーパーバイザーは、L・B・アボットこと、レンウッド・バラード・アボットが務めた。彼は撮影監督だった父親に倣い、高校卒業後にフォックス・フィルム社(*4)の『栄光』(26)で、特殊効果スタッフとして業界入りした人物である。
彼は、1957年から20世紀フォックスの特殊効果部長となり、会社や業界からの信頼も厚く、映画だけでなくテレビシリーズも多数手掛けた。だが、彼は自ら「ワイヤー、テープ、ラバーバンド・スタイル」と呼ぶように、インカメラ・エフェクトを得意としていた。
今回アボットは、『ミクロの決死圏』のシナリオを読み、吐き気を催したと言う。そしてその晩、この計画の中止を求める手紙をダリル・F・ザナック宛に書いたが、自分の権限ではないと悟って実際は投函していない。それでも様々な逃げ道を模索し、上層部に不可能であることを説明しに行った。
彼が抵抗を示した最大の理由は、作業量の多さである。ただでさえアボットは、年間40作品の映画と、『原子力潜水艦シービュー号』(64~68)や『宇宙家族ロビンソン』(65~68)など、10時間のテレビ用特撮を手掛けており、それに加えて本作のエフェクトの規模は特殊効果部のキャパを完全に超えるものだったからだ。しかし経営陣は、「やるべきことをやれ」としか言わず、彼は途方に暮れる。
*4 フォックス・フィルム社は、1934年末に20世紀映画社と合併して、20世紀フォックス映画社となった。旧フォックス・フィルム時代から、マットペインティングやミニチュアと実写の合成を手掛けていたのがフレッド・サーセンで、20世紀フォックス社内に世界最大規模の特殊効果部を設立した。そして『シカゴ』(38)や、『スエズ』(38)、『雨ぞ降る』(39)などの、スペクタクルシーンを手掛ける。サーセンは1954年に引退し、戦前から助手を務めていたレイ・ケロッグに特殊効果部長の座を譲った。しかしケロッグは、本編の監督になりたいという願望を持っていたのか、1957年に突然独立してしまう。そこで急遽、三代目特殊効果部長に抜擢されたのが、L・B・アボットだったのである。その後ケロッグは、ダラスでドライブインシアターを経営するゴードン・マクレンドンという男に騙され、本物のドクトカゲを撮っただけの『大蜥蜴の怪』(59)や、犬を特殊メイクした『人喰いネズミの島』(59)など、超低予算映画を3本だけ監督し、以降は第二班監督で生計を立てた。