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『スーパーガール』スーパーマンはなぜ『スーパーガール』に登場しなかったのか?【そのとき映画は誕生した Vol.2】
バットマンとスーパーガール
1982年6月21日にクランクインした『スーパーマンIII』は、同年10月上旬に撮影を終え、1983年6月17日にアメリカで封切られた(日本公開は7月16日)。最終的な興行収益は前作から半分近くまで落ち込んだ600万ドル弱。観客は明らかにスーパーマンに飽き始めていた。ニューヨークで行われた本作のプレミア上映で、リチャード・レスターとクリストファー・リーヴは、ワーナー・ブラザーズの幹部に、これが最後になると告げた。観客だけでなく、彼らもまたスーパーマンに飽きていたのだ。
そして、スーパーマンと交代するように、DCコミックスを原作とした2本の企画が進んでいた。1本は『スーパーマン』が公開された翌年の1979年から企画が動いていた『バットマン』である。しかし、このプロジェクトは進展を見せず、1983年になって、『スーパーマン』『スーパーマンII』の脚本に参加したトム・マンキーウィッツによって、全く新たな脚本が書き下ろされた。参考までに、そのさわりを見ておこう。
1960年、10歳のブルース・ウェインが両親とオードリー・ヘップバーン主演の『尼僧物語』(59)を観に行った帰り、犯罪者のジョー・チルによって両親は射殺される。それから間もなく、チルはジョーカーに殺される。一方、ウェインは成長しながら、空手、山登りなどで体を鍛えていく。1970年代初頭のある夜、彼は街で見かけた凶悪犯を撃退するが、被害者が死亡し衝撃を受ける。そして自宅の地下に洞窟を発見し、そこに潜むコウモリに触発される――。その夜、地下鉄で暴漢を撃退し、さらに高層ビルの40階の外壁に現れて強盗事件の人質を解放して飛び去った黒マントの男がいた。パトカー2台が闇夜を駆け抜ける謎の男を挟み撃ちしようとした瞬間、男は軽々とボンネットを飛び越えて着地し、正面衝突したパトカーを後にして姿を消す。その瞬間、警官たちは初めて彼の全身を目にする。黒いカウルに黒のブーツ、巨大な黒いマントを身に着けたバットマンを。
これが冒頭30分ほどの内容だが、ティム・バートン監督による『バットマン』(89)の実現まで、長らくひな形として活用されることになった脚本だけあって、ジョーカーとの戦いを中心としたストーリーは、バートン版への影響も見て取れるが、トム・マンキーウィッツが脚本を書いているだけに、『スーパーマン』との類似に目が行く。幼い頃に実の両親を亡くし、喪失感を持って思春期を送る青年が、ある種の学習や訓練で、常人にはない力を習得する。あるいは潜在下にあったものを自覚する。そうしてスーパーマン、またはバットマンとなるが、その過程として、自宅の地下にそれを目覚めさせるものがあるという点も共通する。そしてヒーローに変身したあと、最初に立て続けに解決する事件のエピソードも、『スーパーマン』と酷似している。
『バットマン』予告
そして、もう1本の企画が、『スーパーガール』である。現在では、『スーパーマンIII』がヒットしなかったことから、仕切り直しとして『スーパーガール』が作られたという説がまことしやかに語られているが、同作品の企画が発表されたのは、『スーパーマンIII』の撮影開始2か月前となる1982年4月。むしろシリーズ拡大を見越して企画されていた。製作者のピエール・スペングラーも、「観客が望む限り我々は『スーパーマン』を作り続けるだろう。ボンド映画は既に13本作られた。我々も同じ位の成功を収められればいいと思っている」(「キネマ旬報」1983年6月上旬号)と、長期のシリーズ化を見越した発言を行っている。
ところが、『スーパーマンIII』の公開後は、イリヤ・サルキンドが「スーパーマンには、もう可能性がなくなった」と、平然と口にする事態にまで陥っていたのだから映画はおそろしい。ただし、そう簡単に、『スーパーマン』の観客が『スーパーガール』へ流れるわけではないことは、イリヤもよく知っている。主人公の交代を円滑に進めるためには、クリストファー・リーヴが橋渡しを演じることが不可欠だった。つまり、幻の『スーパーマンIII』で構想されていた、スーパーマンとスーパーガールの共演である。スーパーマンからの引退を表明していたリーヴを説得して、もう少しだけ演じてもらわなければならない。