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『スーパーガール』スーパーマンはなぜ『スーパーガール』に登場しなかったのか?【そのとき映画は誕生した Vol.2】

(c)Photofest / Getty Images

『スーパーガール』スーパーマンはなぜ『スーパーガール』に登場しなかったのか?【そのとき映画は誕生した Vol.2】

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 DC映画の雲行きが怪しい。今年、配信ならびに劇場公開予定だった『バットガール』が完成間近にお蔵入りしたことは、記憶に新しい。ゴッサムシティの市警、ジェームズ・ゴードンの娘が活躍する物語で、『バットマン・リタ―ンズ』(92)以来、30年ぶりにマイケル・キートンがバットマン役に復帰することも期待をあつめていた。


 これまでも、スタジオ側との意見の相違によって監督が降板させられることはあったが、『スーパーマンII リチャード・ドナーCUT版』や『ジャスティス・リーグ:ザック・スナイダーカット』のように、紆余曲折を経て、どうにかオリジナル版に近いものを目にすることができただけに、今回も――と思いたくなるが、『バットガール』は、ロスカットすることで損失拡大を防ぐ趣旨で製作中止になったもので、つまりは、劇場公開を止めてソフトや配信でリリースされるわけではなく、文字通り封印して損切りしようというのだ。


 そこにいたる理由は諸説あるが、ワーナー・ブラザース上層部の経営方針転換の犠牲になったと見られている。120億円という製作費が無駄になったことよりも、映画というものが、どういった人たちの労働が集積されて成り立っているかという視点に立てば、ここまでビジネスライクに扱って良いのかと思いたくもなる。だが、被害は『バットガール』だけに終わらないという噂もある。ここ数年、企画が進められていた『スーパーガール』のリブート企画も危ういという報道も出てきている。


 1984年にスクリーンへ初めて登場したスーパーガールは、ワンダーウーマンと並ぶ知名度を持つスーパーヒロインであり、近年もTVシリーズが製作されているものの、スクリーンからは長きにわたって遠ざかっている。それが来年公開の『ザ・フラッシュ』でスクリーン復帰し、以降は単独のシリーズへ発展させることが予定されているようだ。ところが、ワーナー・ブラザースの新たな方針次第では、それもおぼつかない。なにせ、完成間近の映画がお蔵入りしてしまう聖域なき構造改革の最中なのである。


『ザ・フラッシュ』予告


 そこで、最初に映画化された1984年版『スーパーガール』が、どのようにして生まれたのか、今こそ、その軌跡をたどってみたい。ひょっとすると、そこに現在のDC映画との共通点や問題点を見出だせるかもしれない。


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スーパーマン映画の歩み



 1938年に「アクション・コミックス」誌で誕生したスーパーマンから遅れること約20年。スーパーマンのいとことして、スーパーガールが同誌に初登場したのは1959年のことだった。スーパーマンの故郷クリプトン星崩壊後、宇宙を漂うアルゴ・シティで育ったカーラ・ゾー=エルは、シティが隕石にぶつかって全滅の危機に陥った際、父のはからいで宇宙船に乗せられて、いとこのいる地球へ向かう。かくして地球人を装いつつ超人としての力を発揮するスーパーガールが誕生した。


 ただし、スーパーマンが誕生から2年目にはラジオドラマ、3年目にはアニメーション、10年目にはコロンビア映画で最初の実写映画『スーパーマン』(48)が製作されたのに比べて、スーパーガールは1984年に映画化されるまで一度も映像化されることはなかった。この映画化のきっかけになったのは、1978年に始まる『スーパーマン』シリーズにあった。


 1975年、映画プロデューサー、アレクサンダー・サルキンドと、イリヤ・サルキンドの親子がスーパーマンの映画化を発表し、3年後に『スーパーマン』(78)が公開されて世界的な大ヒットとなった。映画化の権利を取得した際には、各キャラクターの使用権も同時に得ており、そのなかにはスーパーガールも含まれていた。


 サルキンド親子が製作した『スーパーマン』は、『ゴッドファーザー』(72)のマリオ・プーゾが脚本を執筆し、マーロン・ブランド、ジーン・ハックマンが出演するという顔ぶれからもわかるように、子ども向けのヒーロー映画とは一線を画した超大作だった。監督には『オーメン』(76)のリチャード・ドナーが抜擢されて骨太な演出を見せ、スーパーマンとクラーク・ケントを演じ分けるクリストファー・リーヴの好演も相まって、子どもから大人まで魅了する重厚なエンターテインメント大作となった。


『スーパーマン』予告


 しかし、大作映画はトラブルにも見舞われやすい。『スーパーマン』も例外ではなく、続編製作が暗礁に乗り上げた。もともと2部作を同時製作する方針が立てられ、『スーパーマンII』と同時撮影されていたが、大作映画を2本同時に、それも1作目の公開スケジュールが迫るなかで行うのは無謀である。さらに、撮影現場ではドナー監督とサルキンド親子の対立が表面化し、1作目が完成するメドすら立たなくなっていた。そこへ助っ人として現場に投入されたのが、ビートルズ映画の監督で知られるリチャード・レスターだった。現場プロデューサーとしてノンクレジットながら、めざましい仕切りを見せたのだ(1作目のラストに見られる奇想天外な展開は、もともと2作目のラストに用意されていたものだったが、レスターが1作目のラストに使用するよう進言した)。


 そして1作目の完成後、すでに7割方の撮影を終えていた『スーパーマンII』の撮影が再開されることになったが、監督はサルキンド親子と断絶していたドナーに代わって、レスターが引き継ぐことになった。この監督交代劇は、シリーズに深刻な打撃を与えることになった。クラーク・ケントの同僚ロイス・レイン役のマーゴット・キダーは、公にこの人事を批判し、スーパーマンの父を演じたマーロン・ブランドは、撮影を済ませていた2作目用のフッテージを使用するなら追加ギャラを払えと要求した。悪役のレックス・ルーサーを演じたジーン・ハックマンの出演シーンも、追加シーンは代役で補うことになった。


 こうして、多くのトラブルを抱えながら完成した『スーパーマンII 冒険篇』(80)だったが、フタを開けてみれば、前作を超える面白さと評判になった。クレジットではレスターが1人で監督したことになっているが、実際はドナーとの共同監督作品と言って良く、両者の良い面が上手く混じり合った内容になっていたからだろう。


 とはいえ、レスター単独監督作品とクレジットするために大幅にリテイクされたシーンも多く、どの場面をドナーが撮り、どこをレスターが撮ったのか、長年ファンのなかで論争の的となっていた。2006年には、残されたフッテージを基に、かなりの無理をしつつもドナー版『スーパーマンIII』の復元が実現し、ようやく決着を見た。




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